決定版 国会議員への意見具申 民法731条改正(女子婚姻適齢引上げ)、737条及び757条の廃止に強く反対し、修正案を提案する
国会議員への意見具申
民法731条改正(女子婚姻適齢引上げ)、737条及び757
条の廃止に強く反対し、修正案を提案する
東京都水道局勤務58歳
川西 正彦
(都立園芸高校園芸科卒)
突然の不躾非礼なメールをお許しください。軽輩にもかかわらず、厚かましくも長文で失礼しますが、虫けら同然の全く社会的地位も何もない一国民がたんに意見を具申(不特定多数の政治家に 非公式的に)するものです。先生方がご多忙なのは重々承知で、もし興味があればご覧いただきたい程度の趣旨ですので、他意はございません。失礼の段ご海容願いご笑覧いただければ幸甚に存じます。
もちろん標記の件は政治家にとって何のメリットもないし、反対世論もない。こんなことにエネルギーをさくことは馬鹿げたことでしょうが、しかしながら「婚姻の自由」は核心的に重要な価値であり、事態を傍観できないため上記の件につき意見を上申します。(なお私自身は生涯未婚ですが、自己の婚姻の権利、幸福追求権、配偶者選択の範囲が縮小する問題として利害を有しており当然発言権があると考えます。)
かなり前に既定方針化され今更修正などできないといわれるかもしれません。しかし土壇場の状況であっても、政治には常にハプニングがつきもので無意味ではないと考えました。
一般人でも今のところ私の意見に好意的な反応はきわめて少数で見込みがないです。とはいえ反対の声を出しておけば自分としては一応「婚姻の自由」という文明史的理念のために抵抗したというアリバイづくりで、人生に絶望せず自己同一性が崩壊しないですむから、この文書活動は自分自身が生き残るためのものでもあります。
私の修正案
731 条(法定婚姻適齢)修正案
婚姻するには当事者の一方が満十六歳に達し、他方が満十八歳に達していることを要する
(男女取扱いの差異をなくしたうえ、16・17歳女子の婚姻資格を剥奪する蛮行を避ける無難な法案である)
737条(父母の同意要件-廃止せず維持)
753条(成年擬制-廃止せず維持)
成人年齢18歳引下げに伴う関連法案として、政府は民法731条を改正するとし、女16歳から男女とも18歳として新成人年齢と一致させる。また未成年者の婚姻の父母の同意(737条)と、未成年者の婚姻による成人擬制(753条)を廃止する方針であるが、強く異を唱え反対する。
私の修正案は、当事者の一方が18歳以上であれば、他方は18歳未満16歳以上で結婚できるように修正し、737条と753条も維持することを提案するものである。
本音を言えば法改正それ自体反対である、しかし、男女別の取扱いの差異に固執するのは得策でないと考え、取扱いの差異をなくして平等を達成しつつ、古より婚姻に相応しい年齢とされ、疑う余地なく婚姻の意思を取り交わす、肉体的精神的能力を有し、婚姻適応能力のある16歳・17歳女子の婚姻資格剥奪を避ける修正案を提案することとした。
結婚し家庭を築き子供を育てる権利、婚姻の自由は、憲法13条、24条1項と密接な関連のある法的利益であり、安易に剥奪されるべきものではない。
外国の立法例では、親・保護者の同意要件のもとでイングランドやアメリカ合衆国34州(2016年の段階、同意に加え補充要件規定では殆どの州)カナダの主要州が男女とも婚姻適齢を16歳と定めている(スコットランドは同意要件なし)。合衆国においても我が国の成年擬制と同様の未成年解放制度があるので婚姻適齢は男女共16歳でもよいと思うが、成年擬制との関連で反対論がより少ないと想定する、男女を問わず当事者の一方が新成人年齢の18歳なら、他方は16歳の結婚を認め、従前の16・17歳女子の婚姻資格を喪失させない2016年までのドイツの法制を修正案のモデルとして採用した。
以下修正案提案理由の要旨を述べます。下記ウェブサイトでも一般向けに別バージョンの意見書も公開しておりご覧いただければ幸甚に存じます(特設ブログ「川西正彦のこれが正論だ 民法731条改正、737条及び757条の廃止に反対し、修正案を提案する」。 動画も作っておりYOUTUBEチャンネルはmasahiko kawanishi、ニコニコ動画でもニックネーム「川西正彦」で公開しています)
16・17歳女子婚姻資格剥奪に強く反対し修正案を提案する理由(要旨)
-目次-
第1 男女取扱いの差異をなくす立法目的は消極的に是認する
第2 圧力団体の政治的目標が優先され、国民の憲法13条・24条に密接にかかわる人格的利益が等閑にされている在り方は是正されるべき
(1)圧力団体の政治目標が、法で保護されるべき自由より優先されている
(2)夫婦の相互扶助共同体形成の意義の軽視
(3)女性初の高裁長官野田愛子氏は反対していた
(4)女性の再婚の自由は尊重されるのに16・17歳女子婚姻の権利剥奪はダブルスタンダードで理不尽
第3 16・17歳女子の婚姻資格を剥奪せずとも法的平等を達成することは可能だから、憲法上保護されるべき人格的利益により弾圧的でない手段を選択すべきである
第4 成人擬制制度は米国で通例であり維持されるべき
第5 婚姻の自由(憲法24条1項と密接にかかわる法益)の不当な抑圧である
第6 婚姻の自由とは実はローマ法・カノン法に由来する西洋文明二千年の根幹的規範であり、我が国も明治15年妻妾制を廃止し西洋の単婚理念を継受、戦後憲法24条1項によって合意主義婚姻理論を継受したので忽せにできない
第7 婚姻の自由の神学的論拠は、世俗的にも妥当であり文明規範として最大限尊重されるべき
〇婚姻の自由の神学的な論拠
(1)コリント前書7章2節,7章9節(淫行を避けるための手段としての結婚)
(2)秘跡神学
(3)ローマ公教要理
第8 幸福追求権(憲法13条の法益)の重大な侵害である
〇婚姻の権利=幸福追求に不可欠とする理論
(1)ミルトンの提唱した近代個人主義的友愛結婚(孤独からの救済・慰めと平穏と生きる力を得るための結婚happy conversationこそ結婚の目的)
(2)連邦最高裁判例Meyer v. Nebraska, 262 U.S. 390 (1923)
(3)連邦最高裁判例Griswold v. Connecticut, 381 U.S. 479 (1965)
(4)連邦最高裁判例Loving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967))
第9 近年世界的に攻勢をかけている児童婚廃絶キャンベーン団体の主張は断固拒否すべき
付録 そもそも成人年齢引下げも反対だ
第1 男女の取扱いの差異をなくす立法目的は消極的に是認する
私は民法731条の婚姻適齢男18歳、女16歳という取扱いの差異については、生理的成熟の男女差が基本にあり、事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものとして憲法14条1項違反にはならないと考えるし、1996年法制審議会民法部会長の加藤一郎氏の学説も合憲である。
また女子差別撤廃条約(アメリカ合衆国未批准のため国際的標準とはいえない)は人権条約の実施措置としては最も緩い報告制度をとっており、締約国の義務は女子差別撤廃委員会(CEDAW) に条約批准の一年後とその後は四年ごとに条約の実施のためにとった立法上、司法上、行政上のその他の措置の報告をするだけにすぎない。
CEDAWの権限は弱く、条約十八条で提案と一般的勧告を行うことができるが、条文の解釈は締約国に委ねられているから【註1】、提案や一般的勧告に強制力はなく問題にせずともよいというのが私の主張である。
したがって形式的平等の達成にも反対であり、現行法制のままでよいというのが私の本音である。
しかしながら価値観を共有する国会議員はかなり少ないと思うので、現行法制維持に固執するのは得策でないと判断しこの立法目的を認めることとする。
つまり形式的平等達成のため男女の取扱いで差異を設けないことについて消極的ながら賛同するものである。
ただし私が特に敵対視するユニセフの児童婚廃絶運動のようにジェンダー平等というイデオロギー的政策のもとに、18歳未満の結婚を有害と決めつけ、子供の人権の侵害だとする主張は、過剰なパターナリズムであり、憲法13条、24条1項、婚姻の自由と幸福追求に不可欠な結婚し家庭を築き子供を育てる権利の明確な否定なので強く反対する。
我国はユニセフやヒューマンライツウォッチ等の団体のいいなりになる必要は全くない。
第2 圧力団体の政治的目標が優先され、国民の憲法13条・24条に密接に
かかわる人格的利益が等閑にされている在り方は是正されるべき
(1)圧力団体の政治目標が、法で保護されるべき自由より優先されている
もともと女子婚姻適齢16歳より18歳に引上げて平等を達成する案は、均等法以前の1970年代から日弁連女性委員会やその他女性団体が主張してきたもので、法制審議会や法務省が無批判に従ったものである。
この法改正を女性団体は男女平等のシンボルにしようとする政治的意図が強かった。
一方で、伝統的に婚姻に相応しい年齢とされてきた16・17歳女子の婚姻資格を剥奪し、婚姻の自由の抑圧を躊躇しない姿勢は、女性団体の身勝手な政治目標が優先され、国民の憲法13条・24条1項に密接にかかわる法益(幸福追求権・婚姻の自由)を蔑ろにするものとして強い非難に値する。
最高裁は民法733条の憲法適合性を争点とした再婚禁止期間判決・最大判平27・12・16民集69-8-2427で初めて「婚姻の自由」を憲法上の権利として認めていることから、この観点での再考がなされるべきである。
婚姻年齢の制限の立法趣旨は、婚姻適応能力のない社会的・精神的に未熟な段階での婚姻がその者の福祉に反することが懸念されるということにあるといえるだろう。
したがって16歳・17歳女子の婚姻資格当事者をはく奪するにあたっては、それが当事者の福祉は反する、あるいは当事者の最善の利益にならないという合理的な根拠がなければならない。
しかし、これまで法制審議会その他が示した法改正趣旨に合理的なものがひとつもないのである。
(2)夫婦の相互扶助共同体形成の意義の軽視
さらにいえば、「相互扶助の場としての夫婦の共同体への自然的欲求」【註2】という人格的利益を軽視していることが大問題である。
結婚相手となる人こそ最大の共感的理解者であれば、互いに励まし合い、感謝し合い、喜びと苦労を分かち合うことにより、喜びは倍増し生活の苦労は軽減され、人生に困難があっても乗り越えられる。孤独から救済し、慰めと平穏をもたらし生きる力を得る【註3】その心理的充足により情緒的にも安定する。それは結婚以外に得難いものなのだ。結婚は幸福追求に不可欠な価値である。
法律婚の重要性はいうまでもない「法律婚は、安心、安全な安息地、人間として普遍的に有する結びつきを切望する気持ちを満たす」Goodridge事件440Mass.322頁,798N.E.2d,955頁【註4】。
我が国では諸外国にみられる未成年者の強制結婚や詐欺的結婚は社会問題になっておらず、未成年者の結婚といってもそれは、当事者の合意が先行し、親権者が追認するケースと考えられ、結婚相手こそ最大の共感的理解者であることが多いと推定できるのである。
早婚は離婚率が高い、DVを受ける可能性が高い、性病に罹患する可能性が高い、高校を中退する可能性が高い等の否定的言辞があるが、仮に統計的事実が認められるとしても、たんにそれだけの理由で、憲法上保護される人格的利益の享受が否定されなければならない理由にはならない。
当事者にとっての最善の利益にならない、あるいは当事者にとってとりかえしのつかない負担となり有害だと決めつけることは全くできないのであるから、婚姻の権利を剥奪する根拠にはならない。
実際、筧千佐子被告が何度再婚しようと、木嶋香苗死刑囚が獄中結婚しようと自由であるのに、政府がユニセフなどの主張にへつらって、未成年者が配偶者となる結婚の自由を奪われるのは全く理不尽だ。
タレントの三船美佳は1998年16歳の誕生日に24歳年上の歌手高橋ジョージと結婚した。「パートナー・オブ・ザ・イヤー2011」として鴛鴦夫婦として有名、年齢差のある結婚だが世間一般は好意的だった。三船美佳はタレントとしても成功している。2016年に離婚したとはいえ、世俗法では離婚を必ずしも否定的に評価する必要はないし、仮に18歳で結婚すれば離婚していなかったもいえない。16歳で結婚したことが、当事者にとって最善の利益ではなかったという評価はできないし、それが取り返しのつかない負担だったという評価は不可能である。
ユニセフが宣伝しているように、未成年との結婚は子供の人権の侵害というのなら、高橋ジョージ氏は世間から非難されただろうが、そのようなことはなかった。
また、男女いかんにかかわらず性欲も人間性の重要な一部分との認識により、社会的に承認された性欲充足の手段としての結婚(キリスト教では原罪により人間の経験に入った淫欲の治療薬としての結婚【註5】が結婚の理由の第一義とする)の意義も2000年の文明の規範である以上重視されてしかるべきであると考える。
さらに本来、長男、長女となるべき子供もみすみす非嫡出子にしてしまう制度は法律婚制度の在り方として疑問をもつ。
にもかかわらず、16・17歳女子という伝統的に結婚に相応しい年齢とされてきた女子とその配偶者となるべき男性に我慢を強い、待婚を強い法律婚をさせないというひどい嫌がらせをしようとするのが今度の法改正である。
――むろん、法改正されても周知期間と数年の経過措置がとられるから、現在結婚を考えている16・17歳女子の結婚は妨げられるわけではない。従って16・17歳での婚姻資格が剥奪され婚姻の自由が縮小する女子は現在の概ね小学生以下ということになるので声なき国民といってよい。しかし声なき国民だからその権利について不当に侵害されてよいわけではない――
我が民法においても、家庭は、相互に扶助協力義務を有する夫婦(民法752条)を中心として、未成年の子の監護養育(民法820条、877条1項)や、他の直系血族の第一次的扶養(民法877条1項)等が期待される親族共同生活の場として、法律上保護されるのであり、民法752条の軽視は非難に値する。
にもかかわらず、相互扶助の共同体形成の意義が軽視されているのは、政府がジェンダー論者やマルクス主義フェミニスト等にへつらい、マルクス主義の勝利に導こうという隠された政策的意図があるとみてよいだろう。
民法752条(相互に扶助協力義務を有する夫婦)等を廃止すべしと主張する法律家としては、 例えば1993年の榊原富士子(日弁連家事法制委員会委員)・吉岡睦子・福島瑞穂『結婚が変わる・家族が変わる-家族法・戸籍法大改正のすすめ』日本評論社では次のように主張している。(72頁以下)。
○ 夫婦の同居・協力・扶助義務の規定もいらない(民法752条廃止)
○ 夫婦の日常の家事費用の連帯責任の廃止を(民法761条)
近代家族は互いの人格の尊重を基礎とした性的分業なのであるが、上述の見解は性的分業を前提とする婚姻家族【註6】を崩壊させ、マルキストの意図する個別家政の廃止、家族死滅論に接近するものとして強く反対である。
私は性的分業による相互扶助共同体としての婚姻家族の在り方から、男女双方の経済的自立を前提とした対等なパートナーシップに社会変革していくことには反対である。伝統的な婚姻家族を支持する。
いずれにせよ民法752条廃止の主張は先送りとされている以上、民法752条を前提とした伝統的な価値観にもとづく婚姻、性的分業による婚姻家族は依然として法律婚として保護されるべきものであるから、国会は「相互扶助の場としての夫婦の共同体への自然的欲求」という人格的利益も重視して法案を審議すべきなのである。なるほどジェンダー論者の主張は政府の政策に取り入れられる傾向はあるが、国会が民法の改正にあたってジェンダー平等論に与しなければならない理由はない。
未成年の結婚は有害とか子供の人権侵害と決めつけ当然に否定されなければならないという主張は幸福追求権を蔑ろにするのみならず人情にもとるので私は厳しく非難したい。
政府案によって婚姻資格が剥奪される16・17歳女子に婚姻適応能力がないという判断は根拠がない。結婚することが当事者にとって最善の利益にならない、取り返しのない負担を課す有害なものという根拠は何もないにもかかわらず、伝統的に認められていた権利を否定するのは悪しきパターナリズムであり、ジェンダー平等という隠された立法目的によって、国民の婚姻関係を統制しようとする全体主義的政策として否定的に評価されるべきである。
要するに法によって保護されるべきは国民の婚姻の自由であって、圧力団体の政治目標や、ユニセフのキャンペーンの称揚が国民の利益より優先される民法改正には反対なのである。
国民の権利(男性側からすれば当該年齢の女性に求婚し、結婚し家庭を築く権利)が剥奪、縮小される必要は全くないのであります。
つまり男性にとっても、女性が最も美しく肉体の輝きを謳歌する16・17歳に求婚し結婚する権利を剥奪されるのであるから、婚姻の自由の縮小、幸福追求権の否定であり、これは神の似姿として造られた男性に対する最大級の侮辱であると考えます。
(3)女性初の高裁長官野田愛子氏は反対していた
しかも女性の専門家でも良心的な方がいて婚姻適齢引上げに反対しておられたのである。
故人であるが女性初の高裁長官で、男女定年制差別を違憲と判決した野田愛子氏は、家裁での実務経験が豊富な立場から現行法制のままがよいとの意見を述べられていた。【註7】要所を引用します。
「‥‥現行法どおりでいいのではないか。つまり、婚姻適齢は男女の生理的な成熟度にあった規定であるからそれでいいという考え方と、いや、男女とも高校教育が一般化した今日、教育的、社会的平等に合わせて、年齢を男女とも一八歳にするべきという考え方があります。一八歳にしますと、女子の場合は一八歳未満で事実上の関係ができて、妊娠するという問題がある。ここに何か手当てが要るというと、むしろ一六歳に揃えたらどうか、という考え方もあります。しかし一六歳に揃えますと、婚姻による成年(民法七五三条)の問題があります。一六歳で成年となっては法律行為等においても問題ではなかろうか。それぞれにメリット、デメリットがございます。
そこで仮に一八歳に揃えた場合には、一六歳で結婚しようというときに婚姻年齢を下げて婚姻を許すような法律的な手立てが、どうしても必要になります。各国の法制を見ますと婚姻適齢を男女同年齢(一八歳以上)にした法制の下では、必ず要件補充の規程を設けて、裁判所が許可を与えるとか、行政機関が許可を与えるとか、そういうような条文を設けている国もございます。
そうなりますと、婚姻の問題に国家の機関が介入するということも問題ではなかろうかという議論もでてまいります。家庭裁判所の立場からは、婚姻を認めるとか認めないとか、いったい何を基準に判断するのかというようなことも一つの疑問として提議されましょう。統計的に、一六、一七歳で婚姻する者は、約三〇〇〇件あるそうです。私の家庭裁判所判事当時の経験に照らすと、一六、一七歳の虞犯の女子が、よい相手に巡り合って、結婚させると落着く、という例も多く経験しています。あながち、男女平等論では片付かない問題のように思われます」〔野田愛子「法制審議会民法部会身分法小委員会における婚姻・離婚法改正の審議について(上)『戸籍時報』419号18頁〕
いかに婚姻適齢を引上げても16・17歳女子は成熟に達した大人っぽい年齢ゆえ男女の事実上の親密な関係はできるし、妊娠もする。虞犯女子がよい相手と結婚して落ち着いた多くの事例を知っているとして、16・17歳女子婚姻資格剥奪に反対している。
また民法学者では滝沢聿代氏(元成城大学・法政大学教授) が、法制審議会民法部会が高校進学率の高まりを指摘し、婚姻年齢に高校教育修了程度の社会的、経済的成熟を要求することが適当であるとする法改正趣旨を論難され、義務教育修了だけでは婚姻適応能力がないという主張に論理性がないことを指摘したうえ(中卒者に対するあからさまな軽蔑を看取できる)、現実には、義務教育で終えるものも少なからず存在し、彼女たちこそ婚姻適齢法制の改正が切実な問題といえると批判され、婚姻の自由の抑制も批判されている【註8】。
私は安倍政権の教育無償化政策にも反対であるが、そうなったとしても教育に熱心なのは特定の社会階層、生産機能を消失した家族に特有な現象なのであって、一億すべてが教育熱心になる必要などないし、教育投資が回収されるだけの成果を得られる保証などない。実社会から隔離し滞留させる施設としての学校教育それ自体信用していない。教育無償化が国民の幸福追求権縮小の口実にされるかもしれないが、きわめて不愉快である。
もっとも16・17歳女子の結婚は、1990年代に年間3000組あったが、2015年には1357組にまで減少している。しかし少数者であるために、憲法上の権利の享受が否定されてよいものではないのである。
(4)女性の再婚の自由は尊重されるのに、16・17歳女子の婚姻の権利剥奪
はダブルスタンダードであり理不尽
ところで再婚禁止期間訴訟大法廷判決・最大判平27・12・16民集69-8-2427は、民法733条1項について、父性の推定の重複を防止するという立法目的を正当としつつ、立法目的と合理的関連性のない100日超の再婚禁止期間を違憲と判示したが、国会は平成28年に多数意見のみならず、共同補足意見の適用除外に関する提言も採入れた法改正を行った。
この法改正の受益者も結婚全体の件数からすれば少数にすぎないが、少数だからといって婚姻の自由が蔑ろにはされていない。
このように離婚後ただちに再婚したい女性の「婚姻の自由」は憲法上保護されるものとして立法政策がなされる一方、未成年者の婚姻は婚姻適応能力があり切実な思いがあっても「婚姻の自由」が否定されなければならないというのは全く理不尽であり、権利剥奪を強行する政府案は人情にもとるということを重ねて述べておく。
第3 16・17歳女子の婚姻資格を剥奪せずとも法的平等を達成することは可
能なのだから、より憲法上の権利に弾圧的でない手段を選択すべきである
現行法制の男18歳・女16歳という婚姻適齢は、1940年代の米国の各州で多かったため採用されたものであるが、70年代以降、多くの州が男子の婚姻適齢を引下げて16歳を婚姻適齢の基準とする法改正を行った。
米国では、私法の統一運動があり統一州法委員会の1970年代の統一婚姻・離婚法のモデル案【註9】では、16歳を親・保護者の同意要件のもとに婚姻適齢とし、16歳未満であっても補充用件規定の裁判上の承認によって婚姻を認めるものとしたため、このモデル案に大筋で従った法改正がなされたことと、男女平等憲法修正条項(ERA)が1972年に議会を通過し、各州の批准の過程で法改正がなされたことによる。(規定に達せず憲法修正は頓挫しているので、オハイオ州のように男女差のある州も残っている)
コーネル大学ロースクールのMarriage Laws of the Fifty States, District of Columbia and Puerto Rico https://www.law.cornell.edu/wex/table_marriage に合衆国各州婚姻適齢一覧表があるが、殆どの州 が男女とも16歳で婚姻可能な年齢(ただしは親ないし保護者の同意だけのところが約3分の2)であり、加えて16歳未満でも補充要件規定で裁判上の承認等により婚姻可能としている州が多い。
(なお直近のNY州の改正は反映されていない)
PewResearchCenterの http://www.pewresearch.org/fact-tank/2016/11/01/child-marriage-is-rare-in-the-u-s-though-this-varies-by-state/によれば、16歳と17歳は34州で親の許可を得て結婚することができると記載されている。
このように米国では、異人種間の婚姻を禁止する州法を違憲としたLoving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967)連邦最高裁判決【註10】が「結婚の自由は、自由な人間が秩序だって幸福を追求するのに不可欠で重要な個人の権利の一つとして、永らく認められてきた。結婚は『人間の基礎的な市民的権利』」と宣言したこともあり 、婚姻の自由を重視する立場をとるのが婚姻法制の基本なのであり、我が国もそれに倣うべきである。
英国も男女とも16歳が婚姻適齢(スコットランド以外未成年者は親の同意要件に要する)【註11】、カナダの主要州も同様である。また米国の各州では我が国の成年擬制と同じ、結婚に伴う未成年解放制度があるのから外国の立法例からみても事柄の性質が異なる婚姻年齢と成人年齢を一致させる必然性はない。
ただし、私の修正案が男女共16歳とせず、一方が成人なら他方は16歳以上で婚姻適齢(東西ドイツ統合から2016年までのドイツの法制とほぼ同じ。西独が男18歳・女16歳、東独は男女とも18歳が婚姻適齢だったのでその中間をとり、男女差をなくしたもの【註12】とした理由は、成人擬制(753条)を廃止したいという杓子定規な民法学者がけっこういるため、一方が18歳で他方が16歳という婚姻適齢なら、男女の差異を廃しただけで現行法制と概ね同じことであり、これまで未成年者の結婚による成年擬制が社会問題となったことがないから、より賛同が得やすいと考えたためにすぎず、国会議員が英米のように男女共16歳が良いというならそれでもさしつかえない。
第4 成人擬制制度は米国で通例であり維持されるべきである
周知のとおり平成8年民法一部改正案要綱が棚上げ状態になったのは、選択的夫婦別姓(民法750条改正)とパッケージになっていたからであります。夫婦別姓は日本会議関連議員が多い限り進捗しないだろうし、私も強く反対ですが、今回の731条改正は、それと切り離し、 成人年齢18歳引下げに伴う関連法案としたものであります。いわば、成年引下げに便乗して婚姻の自由を抑制するものだから、余計にたちが悪い。
平成8年の改正案要綱と異なるのは、当時は20歳成年が前提だったため、問題とされなかった未成年者の婚姻の父母の同意(737条)と、未成年者の婚姻による成人擬制(753条)を廃止するということですが、アメリカ合衆国では45州が18歳を成人年齢としているけれども、各州には我が国の民法753条(成年擬制)と似た未成年解放制度があります。婚姻、妊娠、親となること、親と別居し自活していること、軍隊への従事等を理由として原則として成年として扱うこととなっています(原則としてというのは刑法上の成年とはみなさないこと、 選挙権、アルコール、タバコ、小火器の所持、その他健康・安全に関する規則では成年とみなされないという意味 )【註13】。
民法学者には成年擬制制度に反対の立場から婚姻適齢引上げに賛成する人が結構多いようですが、米国では未成年解放制度は通例なのでありまして、事柄の性質がことなる成人年齢と無理やり一致させる必要はなく、753条は廃止せず維持を主張します。
第5 婚姻の自由(憲法24条1項の法益)の不当な抑圧である
女は前婚の解消又は取消から6か月を経過しなければ再婚できないとしていた民法733 条1項の憲法適合性が争点となった、再婚禁止期間訴訟大法廷判決・最大判平27・12・16民集69-8-2427は、最高裁が初めて「婚姻の自由」が憲法上の権利であることを明らかにした先例である。
判決は、父性の推定の重複の防止という立法目的の合理性を認め、100日間の禁止を合憲としたが、100日超の禁止期間を過剰な制約として違憲とした。
加本牧子調査官解説【註14】は「『婚姻をするについての自由』の価値は憲法上も重要なものとして捉えられるべきであり、少なくとも憲法上保護されるべき人格的利益として位置付けられるべきもの」と評釈している。
16・17歳女子の婚姻資格剥奪は、再婚禁止期間と同様、婚姻するについて直接的な制約を課す。しかも待婚を強いる期間が6か月より長いケースも想定され再婚禁止期間よりも過酷といえる。
再婚禁止期間判決は直接的制約の憲法適合性審査について、中間審査基準を示唆しており【註15】、つまり正当な立法目的と具体的な手段との間に実質的関連性がなければ違憲の疑いがあるということである。
(なお直接的制約か否かは重要な論点であって、最高裁は民法733条1項が婚姻するについて直接的制約であるからこそ司法積極主義をとったのである。一方民法750条の憲法適合性が争われた夫婦同氏制訴訟最大判平27・12・16民集69-8-2586は、夫婦同氏制は婚姻するについて直接的制約ではなく、事実上の制約であるとして、結果的に立法裁量の範疇との判断をとっている)
この度の16・17歳女子に直接的制約を課す政府案は、正当な立法目的か、又、立法目的と具体的な手段との間に実質的関連性とがあるかを精査していくと、違憲の疑いがあるとみてよいだろう。
まず、男女の取扱いの差異をなくし、法的平等を達成する立法目的それ自体は正当であっても、平等の達成について16・17歳女子の婚姻資格を剥奪せずとも達成可能であることから、憲法上保護されるべき人格的利益である婚姻の自由を制約することは直ちに正当化できない。
また、成人年齢と婚姻年齢が一致しない諸外国(英米加豪等)や伝統的な教会法など多くの立法例があること。成年擬制も米国では通例であること。現憲法下で未成年どうしの例えば19歳と16歳の結婚であっても父母の同意要件のもとに長らく結婚が認められてきたことから、成人年齢に満たないことをもって、婚姻適応能力がないとの断定は不可能である。
18歳選挙権が世界的に広まり、成人年齢も追随したのは1960年代末期のベトナム反戦などの学生運動が契機で、18歳以上で徴兵され国のために働くのに選挙権がないのは不当だとの抗議であり、その懐柔のためだった。18歳で徴兵登録可能としたのはルーズベルト時代からということであるから、第二次世界大戦以後の徴兵可能な年齢が、18歳成人の根拠なのである。その米国ですら16歳を婚姻適齢の基準とする州が多いのであり、我が国で婚姻適齢を世界的な徴兵可能な年齢と一致させなければならない合理的理由は実は何もないのである。
したがって成人年齢と一致させる便宜が、婚姻の自由の抑圧を正当化するほど合理的なものかは疑問である。
1996年の民法一部改正案要綱の「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度 に重きを置いて定めるのが相当」として婚姻適齢を引上げる立法趣旨を述べているが、漠然不明確で婚姻適応能力を否定する根拠に乏しいだけでなく、歴史人口学では、北西ヨーロッパは近代より前近代が晩婚であることを明らかにしたように【註16】、時代の進歩と晩婚化は必然ではない。社会の複雑化・高度化という抽象的な概念で憲法上の権利を奪い取る理由はない。また、未成年者であるからといって、憲法上の権利が享受できないというのは苛酷である。
しかも我が国の法律婚制度は、届出により容易、挙式も要求せず、自由主義的で民間の慣習を重視している。政府がライセンスを発行するわけでもなく、婚姻当事者の社会的地位や、経済的習熟度を審査するものではない。
当事者の合意を第一義とする婚姻の自由という法的理念では、法は結婚するための条件として社会的・経済的諸状況や利害を捨象するものでなければならないのである。
したがって「婚姻の自由」とは、男女は婚姻の意思を取り交わすのに必要な肉体的精神的能力がありさえすればよいのであって、親密な男女が、結婚し家庭を築いて、相互扶助共同体を形成する権利は、たんに自然的欲求、個人の心理的充足だけが目的というだけでも認められるべき趣旨のものと解すべきであり、「社会生活が複雑化・高度化」云々「社会的・経済的成熟度」を要件とすべき云々は、婚姻の自由を否定する口実にすぎないのであって不適切である。
後述するように「婚姻の自由」の理念的淵源としてカノン法があるが、カノン法はローマ法の親の同意要件を否定しただけでなく、男14歳、女12歳の婚姻適齢をさらに緩め、男女とも合衾可能な肉体的精神的能力があれば婚姻適齢未満であっても婚姻適齢とした。カトリック教会は1917年にカノン法を全廃して、新成文法典を定め、翌年より施行し婚姻適齢は男16歳、女14歳と改めているが「すべての人は、婚姻の意志を正当に取り交わすのに必要な肉体的および精神的能力を備えている限り、婚姻する権利を有する」【註17】という原則は変わらない。
教会法でも20歳を成年としているが婚姻について、古法では、男子14歳、女子12歳未満でも婚姻が成立するとしていたのは、性交渉が可能か否かと心理的成熟(大人っぽさ)を重視し、それにし個人差もあり「婚姻‥‥‥に必要な肉体的および精神的能力」を未成年者はもたないという考え方をとって全くとらないのである。
既に述べたように、1970年代に米国の各州の多くは、統一婚姻・離婚法モデルの推奨する、16歳を親の同意要件のもとに婚姻適齢とし、16歳未満であっても補充要件規定により婚姻可能とする法制を採用した。
そのような、婚姻の自由を重視する法制との比較では、今回の政府案は18歳未満の結婚を全面的否定する
ソ連・東独等、家族死滅論を前提とする社会主義国モデルを採用するもので婚姻の自由に抑圧的なことは明白である。
しかも、結婚とは相互扶助共同体の形成であるため、当事者の双方に高い経済的能力を要求する理由はなく、配偶者の一方が著しく稼得能力を欠いても結婚生活は可能なものである。玉の輿に乗れば幸運であり、そのような結婚が否定される理由もない。
したがって男女双方とも経済的習熟を要求する立法趣旨と婚姻適応能力との実質的関連はなく、中間審査基準に耐えられる立法趣旨とはとてもいえない。
法制審議会が述べていた法改正趣旨「高校卒業程度の社会的・経済的成熟の要求」は噴飯もので、政府が結婚のために義務教育以上の教育を国民に要求するのは全く不当であり、これも婚姻適応能力との実質的関連はない。
中卒でも井山裕太囲碁七冠や横綱稀勢のように成功者がいるように、義務教育だけで立派な大人になれるのだから、婚姻の要件として高卒程度の要求は不適切である。(もっとも井山七冠は離婚しているが中卒であることが原因ではない)
仮に教育機会の平等を重視する観点をとるとしても、今日において生徒の実態の多様化に応じた単位制高校などの履修形態があり、学業と婚姻との両立も可能である。結婚が教育機会を奪うという論理性はない。なお16歳で結婚したタレントの三船美佳は横浜インターナショナルスクールを卒業している。
ジェンダー論者は私の修正案のようにこれまでどおり未成年でも結婚の権利を有するかたちで形式的平等としても、年少者は女性となる蓋然性が高く、男子の稼得能力に依存することになるから、性的役割分担の定型概念を助長すると言うだろうが、夫婦の分業は私的自治であって、政府が干渉する領域ではない、専業主婦である堀北真希や藤井聡太四段の母は、伝統的な性的分業といえるが、政府から非難されるいわれはないのであって、それと同じように、どのような性的分業であれ婚姻する自由は保護されるべきものである。
周知の通り、民法750条の夫婦同氏制は文言上差別がなく形式上不平等のない規定だが、結果的に圧倒的多数(96%程度)が夫側の氏を選択していることから憲法14条1項に反するという主張は、最高裁により斥けられている(夫婦同氏制訴訟最大判平27・12・16民集69-8-2586)。
同じように、文言上の差別がない私の修正案は女子が年少者側になる蓋然性が高いということをもって法の下の平等に反するものにはならない。
しかも私の修正案では、男子が年少者のケースを許容し、定型概念を助長はしていないのである。
結論的にいえば「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度 に重きを置いて定めるのが相当」という立法趣旨は、性的分業による婚姻家族を否定し、当事者の双方が経済的に自立していることを前提とした対等なパートナーシップとしての家内的集団に結婚を変質させようとする、ジェンダー論者等の野望の達成という真の目的のために口実とされたものにすぎず、その正当性はないというのが私の主張である。
第6 婚姻の自由とは実はローマ法・カノン法に由来する西洋文明二千年の
根幹的規範であり、我が国も明治15年妻妾制を廃止し西洋の単婚理念を
継受、憲法24条1項によって合意主義婚姻理論を継受したので忽せにでき
ない
婚姻の自由は、以下列記する由緒により西洋文明2000年の歴史を踏まえたものなので、忽せにできない。
〇婚姻は、自由でなければならぬ」Matrimonia debent esse libera(Marriages ought to be free)という法諺がある【註18】。
〇ユスティニアヌス帝の学説類集(533年)が迎妻式や嫁資の設定を婚姻成立の要件から排除し、婚姻が当事者の合意によって成立するという古来の原則を確立した。このほか合意主義に言及した教父として、ティルトゥリアヌス、聖アンブロジウス、教皇ニコラウス1世が挙げられている【註19】。
〇ラテン=キリスト教世界では10世紀に婚姻は教会裁判所の専属管轄権となり、婚姻に積極的な意義づけがなされることとなり、11~12世紀フランス学派により合意主義が理論化される
シャルトル司教イヴォ(聖人、教会法学者、没1116頃)、ランのアンセルムス(没1117)、サンヴィクトルのフーゴー(1096~1141)、中世最大の教師ペトルス・ロンバルドゥス(没1160パリ司教)が合意主義婚姻論者として知られており、グラティアヌスらボローニャ学派の合衾論者と論争になった。
秘跡神学はフーゴーとロンバルドゥスの議論で進展したのであるが、合意主義婚姻理論は名だたる神学者、教会法学者によって理論家されたがゆえに文明規範として最強のものといえるのである。
〇12世紀中葉、教皇受任裁判の進展により教皇庁が司法化し、法律と行政の天才たる教皇アレクサンデル3世(位1159~1181)により緩和的合意主義婚姻理論が決定的に採用されて古典カノン法の婚姻法が成立し、西方(ラテン=キリスト教世界)の統一法となる【註20】。
古典カノン法の婚姻法は、主君、血族による意思決定の排除(親や領主の同意は不要)、儀式も不要であった。
現在形の言葉による相互的な婚姻誓約(suponsalia per verba de praesente『我は汝を我が妻とする』。I will take thee to my Wife 『我は汝を我が夫とする』I will take thee to my Husband)と言うだけで婚姻が成立し、合衾copula carnalisで完成婚となり婚姻非解消となる。未来形の相互的婚姻誓約は、合衾によって完成婚となる。2人の証人(俗人でよい)が必要だが、理論的には証人がなくても婚姻は成立する【註21】。
このように本来の教会法の婚姻とは当事者の合意としての民事行為(契約法)である。東方教会では、婚姻とは司祭の行為であり典礼儀式であったが、西方では合意説theria cosensusをとっているため司祭の祝福や典礼儀式は婚姻の成立とは無関係となった。
ちなみに中世英国で、花嫁の終身的経済保障となる寡婦産確定のため教会の扉の前の儀式を要求したのは世俗裁判所であり、金貨・銀貨や指輪の授与はゲルマン法に固有の婚姻契約の履行を担保するものとして 動産質 (E pledge, OE wedd)を与える儀礼(ウェディングの語源)が、教会の儀式にとりこまれたのであって【註22】、教会法が婚姻の成立のために要求するものではない。
つまり本来カノン法では、居酒屋であっても男女が握手し相互に現在形の言葉で誓約し、二人の証人がいれば有効な婚姻になるのであり、合衾により婚姻不解消な絆になった。
居酒屋の婚姻誓約でも、割れた銀貨などを授与する儀礼があるがこれもゲルマン法由来とみてよい。
12世紀の秘跡神学では婚姻の秘跡とは婚姻という一つの現実において表象されるキリストと教会の結合の秘儀というものであったから、司祭の祝福や典礼儀式と無関係なのである。教会儀式は神学的にも婚姻成立のために不要だった。
カノン法は婚姻適齢についてもローマ法の法定婚姻年齢男14歳、女12歳【註23】をさらに緩め、早熟は年齢を補うとして合衾可能であれば婚姻適齢未満でも婚姻は成立するものとしているから、人類史上、当事者個人の自己決定を重視し婚姻成立が容易な個人主義・自由主義的な婚姻法はほかに類例がない(もちろん婚姻非解消主義という点では厳格であるが)と評価できる。それゆえに「かけがえのない」文明遺産なのである。
古典カノン法は、社会的、経済的諸条件を婚姻成立要件とせず捨象する。とくに親権者の統制がきかないので秘密婚の温床となった。世俗社会から非難され、軋轢を生じたことも事実である。しかし教会は数世紀にわたって婚姻の自由のために世俗権力と抗争したし、教会法によって身分違いの結婚であれ家族が強く反対しても、自由な結婚を擁護した【註24】。
〇教権は秘密婚の非難をかわすため16世紀のトレント公会議で、婚姻予告と挙式の義務付けを行った(タメットシ教令)。しかし、フランスからの要求(親の同意要件)は拒否し、フランス王権が婚姻法を還俗化する【註25】。
〇英国は、宗教改革によりトレント公会議と無関係のため、教会裁判所は市民法律家に入れ替わっても、婚姻予告または許可証を要せず、教区教会の挙式も、親の同意を婚姻の成立要件としない古典カノン法が実務的には継承され、コモン・ローマリッジ(古き婚姻約束の法)として生ける法であった【註26】。イングランドは18世紀中葉まで、スコットランドは19世紀にいたっても継続したため、古典カノン法そのものの婚姻の自由の理念を色濃く継承する。フリート婚・グレトナ・グリーン結婚が著名である。
〇近現代にいたって婚姻法が還俗化したため親の同意要件は通例となるが、次章のとおりキリスト教では婚姻の自由の神学的根拠が明確にあるので、カノン法の理念は現代において色濃く継承されている。個人の心理的充足を第一義とする近代個人主義的友愛結婚はエンゲルスがいうように近代にはじまるものではなく、中世の神学やカノン法に由来するのである。
私が思うに、ローマ法やカノン法に根拠を持つ婚姻の自由は、近代の経済的自由・市民的自由や私的自治に先行するものであり、近代人の個人主義的自由主義の淵源としても重視されてしかるべきである。
ちなみに合衆国最高裁判所において「結婚し家庭を築く」ことが修正14条に保護される自由と初めて述べたのは後述の1923年マイヤー判決マクレイノルズ法廷意見以降の展開であるが、もちろんこの時創造されたものではない。
19世紀アメリカ法学では、コモン・ローによって保護された市民的自由は同時に憲法上の自由と観念しており、ロックナー期の憲法判例の基礎となった19世紀後期随一の憲法体系書であるクーリの『憲法上の諸制約』(1880年)でも、次のとおり婚姻の自由は修正14条の「自由」の一部として保護されるとしている。
「婚姻は、異なる性の二人の同意によって形成される自然的な関係であり、一般的に言って婚姻をする権利は普遍的なものである。‥‥婚姻関係は、国家においても最も重要なものである。何故なら社会の繁栄はその保全と純粋性にかかっているからである」【註27】このように、婚姻の自由の理念は、ローマ法-古典カノン法-古き婚姻約束の法-コモン・ローによって保護される自由-憲法上保護される自由と継承された文明を貫徹する理念であり、とくに英米で色濃く継承されている法文化であるが、我が国においても憲法24条1項により継受しているというコンテキストから忽せにできないのである。
自由主義者にとってこの文明の遺産ほど重要なものはないとさえ思う。
第7 婚姻の自由の神学的論拠は、世俗的理論としても妥当なものである、
文明規範として最大限に尊重されるべき
〇婚姻の自由の神学的論拠
ラテン=キリスト教世界では、カロリング朝が終焉した10世紀半ばに、世俗権力に対し教権が優位に立つようになり、婚姻を教会の霊的裁治権として教会裁判所の管轄権とした。
人類史上最も個人の自己決定を重視し、婚姻成立が容易なのは中世教会法である。なぜならば以下のような明確な神学的論拠をもっていたからである。
(1)コリント前書7章2節,7章9節(淫行を避ける手段としての結婚)
初期スコラ学者は真正パウロ書簡のコリント前書7章2【註28,7章9節(ふしだらな行為、姦淫を避け放埓さを防止するため、情欲に燃えるよりは結婚したほうがよいというもの、情欲の鎮和剤としての結婚【註29】)淫行を避けるためのとしての結婚を決定的に重視した。これが婚姻の自由の根拠の第一にあげてよいだろう。淫欲の治療薬Remedium Concupiscentiaeと公式化された教説である。
古代教父では東方教会最大の説教者にして「黄金の口」と称されたコンスタンティノーブル司教ヨアンネス・クリュソストモス(407没、聖人・教会博士)はこう述べた。
結婚とは自然の火を消すために始められたものである。すなわち姦淫を避けるために人は妻をもつのであって、子どもをつくるためのものではない。悪魔に誘惑されないように夫婦が一緒になることを命じる。「一つの目的が残った。すなわちそれは、放埓さと色欲を防止することである」『純潔論』【註30】とパウロのテキストに忠実な解釈をしている。
つまり性欲を自制できない大部分の男女は結婚しなければならない。そうしなければもっと悪いことをするだろう。人々は罪を犯し、子は私生児になるだろう。したがって婚姻は容易になしうるものでなければならぬ。合意主義の要請はここにもあった【註31】。
つまり人々に宗教上の罪を犯させたり、子を私生児にしないようにする配慮が婚姻の自由の第一義的文明史的理念なのである。
新約聖書は古すぎるというかもしれないが、私は真正パウロ書簡のコリント前書や古代教父、初期スコラ学者は文明の規範提示者として最大限尊重する立場なのであって、それを否定することは文明からの逸脱として非難したい。
性欲というものを原罪により人間の経験に入ったものとする宗教的見解を離れて、世俗的な発達心理学的立場でも、性欲の充足のための結婚は認められなければならない。たとえば青年心理学者の次のような見解である。
「結婚は性欲を社会的承認のもとに充足できる点において意義がある。‥‥‥‥性欲が適度に充足されない時、不眠症、機能低下、興奮症、頭痛等の症状や漠然としたヒステリー及び神経症の徴候をもたらすことがあり、更にせっ盗、放火、強姦、殺人等犯罪をひきおこすこともあるといわれている。尚性的欲求不満には性差があり、男性は身体的な不満、即ち射精が意のままになされ得ないときに不満を感ずるのであり、女性には感情的な不満、即ち愛情の損失や失望による不満が多い。故に男性は性交によらなくても自慰によって不満を解消できるが、女性は対人関係によるのであり自分には容易に解決できない場合が多い。そして以上のような性的不満の合理的な解決方法は性的夫婦が適合した結婚をすることである。‥‥‥」【註32】
(2)秘跡神学
11~12世紀に秘跡神学が進展し、婚姻は花婿キリストと花嫁教会の結合を象徴するしるしとして秘跡とされた。したがって、秘跡神学が夫婦愛を神聖視する根拠になっている。
中世最大の教師ペトルス・ロンバルドゥスによれば結婚の秘跡は罪に対する治療薬であり、恩寵を仲介しないものとされた【註33】、中世秘跡神学では婚姻の秘跡は結婚相手(男は女から、女は男から)から与えられるのであって本来、司祭の干与は不要である。恩恵の効力について神学者において議論があるとはいえ、秘跡である以上、それが否定されるべきものではないから婚姻の自由との根拠ともいえる。
秘跡神学において花嫁は母なる教会に擬され尊重されており、教会はゲルマン法のムント婚のように結婚を権力関係とはみなしていない。夫婦愛や性愛の神聖視は、近代個人主義的友愛結婚の淵源であり、恋愛結婚を基本とする現代人に通じているから、秘跡神学の理念は世俗的にも今日なお重視されてよい。
(3)ローマ公教要理
16世紀トレント公会議後の公式教導権に基づく「ローマ公教要理」Catechismus Romanusでは男女が一つに結びつかなければならない理由として第一の理由は、相互の扶助の場として夫婦の共同体への自然的欲求、第二の理由として子孫の繁殖への欲求、第三の理由として原罪に由来する情欲の緩和の手段を得るためである【註34】としている。
また、1917年に公布されたカトリック教会成文法典は婚姻の第一目的を「子供の出産と育成」第二目的を「夫婦の相互扶助と情欲の鎮和」【註35】と明文化されている。
結婚に際して、社会的・経済的諸条件を一切課さないのが特徴である。
「相互の扶助の場として夫婦の共同体への自然的欲求」は結婚の理由付けとして世俗的にも適切なものだと考える。
それによって人生の困難が乗り越えられ救われるのに、婚姻資格を剥奪し結婚を妨害しようとする、政府・法制審議会は糾弾に値する。むしろ、待婚、我慢を強いることが苛酷であり、虐待であります。
世俗権力と教会法の対立、教会法が婚姻の意思を取り交わす肉体的・精神的能力のあるすべての人の権利として、親権干与を排除してきた歴史はこれまで述べたとおりであるが、私は親の同意要件の維持を主張しているので、教会法と立場が異なるが、大筋で教会法の理念に同意するものである。
婚姻の意思を取り交わす肉体的・精神的能力のある人に対して婚姻を直接制約しようとする、このたびの婚姻法改正は、神の法に反するというだけでなく、世俗的な観点でも不当な婚姻の自由の抑圧とみるべきである。
第8 幸福追求権(憲法13条の法益)の重大な侵害である
〇婚姻の権利=幸福追求に不可欠とする理論
法律婚の重要性はいうまでもない「法律婚は、安心、安全な安息地、人間として普遍的に有する結びつきを切望する気持ちを満たす」Goodridge440Mass.322頁,798N.E.2d,955頁【註36】。そして結婚し家庭を築き子供を育てることは幸福追求に不可欠な核心的な権利といってさしつかえない。
ここでは英米の思想を列挙し、直接の法源にはならないが、以下に述べる観点から日本国憲法においても24条1項の婚姻の自由だけでなく13条の幸福追求権からも結婚する権利は擁護されるべきなのである。
(1)ミルトンの提唱した近代個人主義的友愛結婚(孤独からの救済・慰めと
平穏と生きる力を得るための結婚 happy conversationこそ結婚の目的)
近代個人主義友愛結婚理念を提示したのが17世紀のジョン・ミルトンの離婚論であるが、結婚と幸福追求を結び付ける理論であり、幸福追求権の先駆として評価できるのである。
それは17世紀英国人の結婚観といってもよいものだが、婚姻とは孤独な生活に対して人を慰め生きる力を与えるものであり、夫婦間の相愛関係・幸福な交わり(happy conversation)こそ婚姻の「もっとも主要な高貴な目的」であるとする【註37】。
ここでいう「交わり」(カンヴァセーション)とは、魂のレベルにおける深い知的な交流、ともかく一緒にいて楽しいという感情的交流、手を握りキスをし体を触れあい感じあう体感の疎通、そこから一歩進んだ性交のエクスタシーまでも含んだ広い意味をもつのが、「交わり」である。交わりも結合もともに重要で、結婚の第一義だと説明している【註38】。
一口でいえば結婚とはhappy conversation甘美な愛の巣をつくることを第一義とする価値観であるが、結婚の目的が、家系や財産の維持や親族の利害のためでもなく、子どもをつくることでもなく、当事者の心理的充足を第一義とする。
これは現代人の結婚観に通じており、現代人のかなりの部分がミルトンの結婚観を承認すると思う。
しかし今回の政府案は、16・17歳女子の婚姻資格を剥奪し、孤独な生活に対して人を慰め生きる力を与えるものであり、夫婦間の相愛関係・幸福な交わり(happy conversation)である結婚を正当な理由なく直接制限するものであるから、幸福追求権の侵害といえるのである。
ちなみに、ミルトンの初婚の女性は16歳【註39】とも17歳ともいわれる。合衆国植民地時代の宗教指導者コトン・マザーの初婚の女性は16歳で結婚し【註40】。超絶主義哲学者ラルフ・ウォルドー・エマーソンの初婚の女性は17歳【註41】で婚約し、1年後に結婚した。合衆国最高裁PLESSY v. FERGUSON, (1896)判決の反対意見で著名な「偉大な少数意見判事」ジョン・マーシャル・ハーラン15歳の女性に求婚し2年半後に結婚している【註42】。
尊敬すべき偉大な人物は16・17歳女子と結婚している。私はそれゆえに、16・17歳女子婚姻資格剥奪には反対なのである。
(2)連邦最高裁判例Meyer v. Nebraska, 262 U.S. 390 (1923)
憲法修正第14条が保障する自由とは「単に身体的な拘束からの自由のみならず、個人が契約し、なんらかの普通の生業に従事し、有用な知識を習得し、結婚して家庭を築いて子供を育て、自己の良心の命ずるところに従って神を礼拝する権利、および公民(freemen)が通常幸福追求にあたって不可欠なものとして コモン・ローにおいて長い間によって認められている諸特権(privileges) を遍く享受する権利をさす。」「先例によって確立されている法理によれば、この自由は、州の権能内にある何らかの目的と合理的なかかわりをもたない立法行為によって妨げられてはならない。‥‥」【註43】。
傍論ではあるが結婚して家庭を築いて子供を育てることが憲法上保護される自由であり幸福追求に不可欠と示したことで重要な先例として評価できる。
(3)連邦最高裁判例Griswold v. Connecticut, 381 U.S. 479 (1965)
「婚姻とは病めるときも健やかなるときも共にあることであり、婚姻とは大義名分ではなく人生を豊かにする助けとなる結びつきである、政治的信念ではなく人生に調和をもたらすものである、商業的・社会的事業ではなく二人の人間相互の忠誠である。婚姻は‥‥崇高な目的を有する結びつきである」Griswold v. Connecticut, 381 U.S. 479 (1965))【註44】
(4)連邦最高裁判例Loving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967)
「結婚の自由は、自由な人間が秩序だって幸福を追求するのに不可欠で重要な個人の権利の一つとして、永らく認められてきた。結婚は『人間の基礎的な市民的権利』の一つである。まさに我々の存立と存続にとって基本的なものである」とし、「結婚への権利を直接的かつ実質的に妨げる場合」厳格な審査テスト、もしくは厳格な合理性のテストの対象となるとしている【註45】。
既に述べたように我が国でも再婚禁止期間訴訟大法廷判決・最大判平27・12・16民集69-8-2427で最高裁が初めて「婚姻の自由」を憲法上の権利であることを明らかにしており、米国判例の影響は当然あるものと考える。
なお近年Loving判決が頻繁に引用された判例として、Obergefell v. Hodges, 576 U.S. ___ (2015)がある。5対4の僅差ながら、ある州で正式に結婚の認定を受けた同性のカップルには、他の全州でも正式に結婚の資格を認定することを義務付けた衝撃的な判例である。
私はLoving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967)に賛同しつつも、婚姻の自由を「重婚」する権利や「同性婚」に拡大することには反対なので同判決には反対であることを付け加えておく。
憲法上の権利というものは、いわゆる自治体が良く使う人権概念のようにむやみやたらと拡大すべきではなく、法によって保護されるべき自由としてとらえる。
この点で、私は1923年のマイヤー判決マクレイノルズ法廷意見(最も反動的な裁判官として知られる)や19世紀後期随一の憲法体系書のクーリに近い立場をとっているのである。
私は Loving の意義を認めつつ、憲法上の基本的権利はこの国の伝統に根ざし秩序づけられた自由の範疇でとらえるべきという限定を付するのが正当だったと考える。
結婚はどう定義されるべきだろうか。西洋の単婚理念をあらわすものとしてひとくちでいえばユスティニアヌス帝の法学提要にある「婚姻を唯一の生活共同体とする一男一女の結合」といえるだろう【註46】。結婚とはあくまでも男と女の結合でなければならない。
この点ではアリート判事のUnited States v. Windsor(2013)の反対意見が妥当と考える。先例としてWashington v. Glucksberg, 521 U.S. 702 (1997)が長い歴史と伝統に支えられたものか否かを基本的権利を承認する判断基準としており、このグラックスバーグテストに照らせば同性婚を行う権利は「我が国の伝統に深く根差したものではない」としたのである【註47】。
他方、16・17歳女子の婚姻資格は、下記のとおり歴史と伝統に根ざしていることは明白であるから、法によって保護されるべきものなのである。
(我が国の婚姻適齢法制)
〇令制 養老令(戸令聴婚嫁条) 男15歳、女13歳(数え年、唐永徽令の継受)
令制の規定は明治時代まで意味をもっていた。
民間の習俗としては、子供から婚姻資格のある成女となる通過儀礼としては裳着、鉄漿つけ(お歯黒)、十三参り、十三祝、娘宿入り等がある。中世の武家は9歳で鉄漿つけ、眉毛を抜いて元服したというが、17世紀頃は、「十三鉄漿つけ」の語の伝存するように、満年齢の11~12歳初潮をみるころが折目とみられる。十三参り、十三祝は初潮をみての縁起習俗とみられる【註48】。成女式は徳川時代においておよそ13~14歳程度とみられる。令制の婚姻適齢は踏襲されている。ただし徳川時代の皇族の裳着は比較的高く16歳である。
〇明治初期より中期 婚姻適齢の成文法なし
改定律例第260条「十二年以下ノ幼女ヲ姦スモノハ和ト雖モ強ト同ク論スル」により、12歳以下との同意性交を違法としていることから、内務省では12年を婚嫁の境界を分かつ解釈としていた【註49】。
〇明治民法(明治31年1898施行)は婚姻適齢男17歳、女15歳。女15歳は母胎の健康保持という医学上の見地。
〇戦後民法(現行)男18歳、女16歳は、米国の多くの州がそうだったため米法継受である。
文学においても江戸後期では南仙笑楚満人の黄表紙『敵討義女英』のヒロイン小しゅんは、「年のほど二八(二かける八で十六歳)ばかりの美しい娘」と紹介されている。為永春水の代表作で『春色梅児誉美」のお長は「湯あがりすごき桜色、年はたしかに十六七、ぞうとするほどの美しき姿」【註50】とされ、美人といえば16~17歳が相場なのである。
16・17歳は最も女性が美しく肉体の輝きを謳歌する年齢であり、古くから婚姻に相応しい年齢と考えられていたことはいうまでもない。
第9 近年世界的に攻勢をかけている児童婚廃絶キャンペーン団体の主張
は断固拒否すべき
以上の意見に対する反論としては次のような見解が考えられる。
2008年にフランスが女15歳だったのを男女とも18歳とする法改正を行った【註51】。2017年にドイツが、従前では原則として18歳としつつも、配偶者の一方が16歳以上で婚姻可能としていた法制を、原則18歳とする旨の法改正がなされるとの報道があることをあげると思います。
これは近年児童婚撲滅運動が世界的に活発なロビー活動で攻勢を仕掛けていることと関連があります。フランスやドイツ の法改正趣旨はイスラム圏の移民・難民が多く、強制的な結婚、当事者にとって不本意な結婚から子どもの人権を守る趣旨だとされています。
イスラム系移民や難民の少ない我が国とは事情の異なることに留意すべきであり、フランスやドイツに追随するべきではないと申し上げます。
米国においても、2017年に児童婚反対運動のロビー活動によりクォモ知事が籠絡されニューヨーク州は最低婚姻年令を14歳から17歳に引上げてます。
しかし、私は児童婚撲滅運動は過剰なパターナリズムであり、婚姻の自由という文明史的理念を否定し、個人の幸福追求権を否定し結婚させないというのも異常で全体主義平等をめざすものとして反対です。
ちなみに教会法は結婚に関して中世より現代まで一貫して未成年でも親の同意要件を否定していて、結婚に関する自己決定権を重視し、当事者の合意を本質とする価値は一貫してます。スコットランドは16歳なら親の同意なく結婚できます。
「婚姻は自由でなければならぬ」Matrimonia debent esse libera(Marriages ought to be free)という法諺があるように文明の中核にある理念は婚姻の自由であって、結婚を悪とみなすカタリ派は異端で有り、アルビジョア十字軍によって徹底的に叩かれました。それと同じように、結婚を妨げることが人権だという思想は異端思想であり、児童婚撲滅運動は文明の敵とみなす。
ニューハンプシャー州は男14歳、女13歳ほぼコモン・ローに近い婚姻適齢ですが、婚姻適齢引上げ法案は議会が否決しました。ニュージャージー州は婚姻適齢引上げ法案にクリスティー知事が拒否権を行使しました。こちらのほうが良識的対応であります。
私としてはニューヨーク州の17歳婚姻適齢引上げはかなりショックでした。なんといってもニューヨークは大州ですから。
しかし依然としてアメリカ合衆国の大多数の州は16歳が婚姻適齢であり、16歳未満でも多くの州で婚姻可能なことにかわりないことにご留意ください。
ユニセフ【註52】は児童ポルノ撲滅運動でも影響力があったように今回の改正の背後にある圧力団体の一つと考えられますが、憲法13条及び24条1項と密接にかかわる婚姻する自由の法益と児童ポルノとは同一の問題ではないので、この点国会議員の先生は籠絡されないようお願いします。
我々は未成年の結婚を禁止したい日弁連女性委員会やユニセフ、ヒューマンライツウオッチのような人権団体に従属しなければならないのでしょうか。とんでもありません。この人たちのために国民の結婚の権利を縮小しなければならない理由はなにひとつないというのが私の主張です。
私の修正案は、男女取扱いの差異をなくし平等を達成したうえ、婚姻の自由を重視するもので客観的にみて実はもっとも無難なものであります。
ただしジェンダー平等論はとらないのでありまして、結婚し家庭を築く権利を縮小してでも、児童婚は悪だから廃絶しようという考え方はとらないのであります。
しかし政府案に反対すると、16・17歳女子婚姻資格剥奪を主張してきた女性団体やユニセフのメンツを潰すこととなりその方面から非難されるかもしれない。政治家の処世術としては得策ではないというのはわかります。
だから私の意見に賛同される方はほとんどないでしょう。
結局、思想的には、私の主張のように婚姻の自由あるいは、結婚を幸福追求権の核心とする文明の理念をとるか、政府案の隠れた立法目的である古典的一夫一婦制の止揚・個別家政廃止・家族死滅論のマルクス主義フェミニズムをとるか、たぶん国会議員は後者を選択して国民の結婚の権利の縮小は当然というのでしょうが、それはとても残念なことだと考えております。
(-完-やや失礼な表現もありましたがご海容願います)
付録
そもそも成人年齢引下げも反対だ
私は民法731条改正の修正1本に絞って抵抗するが、そもそも成人年齢引き下げも反対であることを説明しておく。
1. 安定している私法関係をいじる必要などなかった
2016年5月12日読売新聞記事によると、同社世論調査で、成人年齢18歳に引下げに反対が54%、特に18・19歳の若者は反対が64%と高い。すでに18歳で選挙権を得ている時点にもかかわらず、反対が多いということは不人気政策といえる。学生運動で若者が要求しているわけでもない。明治九年の太政官布告で満20歳に定められてから、約140年間続いてきたもので国民に完全に定着し安定していた私法関係をあえていじくる必要はないし、大義もない。政治家の取引のためと自己満足のための政策にすぎない。
しかも、政府部内では飲酒喫煙年齢や公営ギャンブルは現行どおりとする方向と報道されている。
イングランドでは酒の購入は18歳以上であり、親の責任下で自宅での飲酒は16歳以上で合法、喫煙も購入は18歳以上だが喫煙自体は16歳以上で合法である[田巻帝子「「子供」の権利と能力-私法上の年齢設定-」山口直也編著『子供の法定年齢の比較法研究』成文堂2017所収]。
我が国では宴会で酒も飲めない中途半端な「成人」になるため、イベントに人が集まらず、和装、振袖レンタルや美容院の仕事も減る見込みなので、業者からもブーイングがあるはず。
2. それは自民党と民主党の取引で決まった
そもそも選挙権の18歳引下げの経緯は、2007年第一次安倍内閣で国民投票法を与野党合意で成立させるため当時の自民党の中川昭一政調会長が、民主党の公約だった18歳選挙権を丸呑みしたという政治的取引による。
周知のとおり2014年に自公民三党は国民投票改正法案について合意がなされ、公職選挙法の選挙権年齢について「改正法施行後2年をめど」に18歳以上に引き下げるべきだとする民主党に配慮し、政党間のプロジェクトチームを設置し、改正され、さらに成人年齢も政治日程にのぼったという経緯である。
もちろん国民投票法を成立させたかったのは安倍首相が自らの実績にしたいためである。そのために今日では分裂してしまった民主党の要求を呑んで取引したという経緯である。要するに政党の取引、政治家のメンツをたてることが目的で、私法関係をいじるという、不人気政策なのは当然のことである。
世論調査結果にみられるように、国民の広範な支持は得られていないにもかかわらず、自公民三党の政党間の約束だから、不人気政策でも強行するというしろものだ。
自民党に投票した人は、民主党の公約の実現のために投票してはいないから、このような政治的取引は選挙民を裏切るものだといえる。私は憲法9条2項削除なら憲法改正に賛成するが、国民投票法のために私法関係に影響を及ぼし成人年齢まで引下げる必要はなかったと考える。
3. 18歳が徴兵対象の年齢だから選挙権が与えられただけ
主要国についていえばアメリカ合衆国はコモン・ローの成年は21歳だが、ベトナム戦争の際、反戦運動や学生運動が盛んになり、18歳以上21歳未満の者は徴兵されるのに選挙権がないのは不当だとの主張がさかんになされ、1971年に投票権を18歳に引き下げた(憲法修正26条)。
米国では成人年齢も18歳に引き下げたのは45州であるが、18歳を徴兵対象としたのはルーズベルトにはじまるから、18歳が大人という発想は比較的新しく第二次世界大戦が根本要因といってもよい。要するに国家総動員総力戦の「負」の遺産ですよ。
ドイツも同じ事で、学生運動が激しくなり兵役義務が18歳からなのに選挙権が21歳なのは不公平だとの主張により1970年に18歳に選挙権が引き下げられた。政治不信を主張する激しい学生運動を緩和させるための政策だったのである。(国会図書館調査及び立法考査局「主要国の各種法定年齢」『調査資料』 2008-3-b 2008-12月参照)
要するに60年代末期の学生運動を背景に、徴兵制(兵役義務)とのからみで、選挙権も引下げられたということである。それはあくまで、一時の社会現象にすぎないのであって徴兵制のない我が国で18歳に引下げる理由は見当たらない。若者が選挙権を求めていたのでもなかったのである。
徴兵登録制度導入との引き換えならともかく、若者から要求もされてないのにタダでくれてやったのはばかげていた。
4.コロラド、ミネソタ州のように選挙権と成人年齢を無理に一致させなくてもよいのでは
選挙権はまだしも成人年齢引下げには若者の6割以上が反対しているのである。
私は日本大学法学部民事法・商事法研究会「『民法の成年年齢引下げについての中間報告書」に対する意見」『日本法学』75巻2009年の結論に賛成である。「国民投票法の制定に伴い、成年年齢の引下げが議論されているが、私法においては、満二〇歳の成年制度で長い間安定しており、これを引き下げることは混乱を生じるだけではないかと思われる。‥‥立法趣旨についてきちんとした議論が全くなされてない状況において改正論議だけが先行することは、法改正のあり方として、あまりにも拙速である。」
成人年齢と選挙権は一致しない例はある。アメリカ合衆国では45州が18歳成人年齢だが、コロラド、ミネソタ、ミシシッピが、コモン・ローと同じく21歳、アラバマ、ネブラスカが19歳である。
私はコロラド、ミネソタ州のように選挙年齢と成人年齢が違っていてもよいと思う。
【註1】「浅山郁「女子差別撤廃条約の報告制度と締約国からの報告 (女性そして男性) -- (外国における女性と法) 」『法学セミナー増刊 総合特集シリーズ 』日本評論社 (通号 30) [1985.07]
【註2】 第7章3節参照
【註3】 第8章1節参照
【註4】 同性婚人権救済弁護団『同姓婚だれもが自由に結婚する権利』明石書店2006年237頁オーバーガフェル判決2015年の翻訳
【註5】 第7章1節参照
【註6】社会人類学の大御所であり厳密な定義で定評のある清水昭俊『家・身体・社会』弘文堂1987 97頁によれば婚姻家族とは「家内的生活が主として夫婦間の性的分業によって営まれる家」と定義している。つまり夫婦の性的分業のない家内的集団はもはや婚姻家族ではないのである。例えばナヤール人、母子のみの家族等があげられる。ジェンダー論は婚姻家族を崩壊させ、マルクス主義の家族死滅論に親和性のある思想といえる。
【註7】野田愛子「法制審議会民法部会身分法小委員会における婚姻・離婚法改正」の審議について」(上)」戸籍時報419 18頁 1993年
【註8】滝沢聿代「民法改正要綱思案の問題点(上)」法律時報66巻12号1994年11月号72頁)
【註9】村井衡平「【資料】統一婚姻・離婚法(案) : 一九七〇年八月六日公表第一次草案」神戸学院法学 5巻2・3号1974年
[本文の補足]
合衆国で男女とも16歳としている州が多い理由の第一は、米国には私法の統一運動があり1970年代に統一州法委員会(各州の知事の任命した代表者で構成される) の統一婚姻・離婚法モデルが法定婚姻年齢を男女共16歳(18歳は親の同意を要しない法定年齢)とするモデル案を示していたことによる。
米国では 16歳を親の同意があれば婚姻適齢とするのが標準的な婚姻法モデルなのである。 もっとも婚姻法はあくまでも州の立法権であり、統一婚姻・離婚法モデルは州権を拘束しないが、多くの州がモデル案に大筋で従った法改正を行った。
ちなみに1970年公表統一婚姻・離婚法(案)は次のとおりである。 [村井衡平1974]
203 条
1 婚姻すべき当事者は、婚姻許可証が効力を生じるとき、18歳に達していること。 または16歳に達し、両親・後見人もしくは裁判上の承認(205条1項a)を得ていること。 または16歳未満のとき、双方とも、両親もしくは後見人または裁判上の承認(205条2項a)を得ていること‥‥
205 条[裁判上の承認]
a 裁判所は未成年者当事者の両親または後見人に通知するため、合理的な努力ののち、未成年者当事者が、婚姻に関する責任を引き受けることが可能であり、しかも婚姻は、彼の最善の利益に役立つと認定する場合にかぎり、婚姻許可書書記に対し、
1 両親または後見人がいないか、もしくは彼の婚姻に同意を与える能力をもたないか、または彼の両親もしくは後見人が彼の婚姻に同意を与えなかった16歳もしくは17歳の当事者のため、
2 彼の婚姻に同意を与える能力があれば、両親が、さもなくば後見人が同意を与えた16歳未満の当事者のため、婚姻許可書‥‥の書式の発行を命ずることができる。 妊娠だけでは当事者の最善の利益に役立つことを立証しない。
この案はアメリカ法曹協会家族法部会が関与しているので、アメリカの法律家の標準的な考え方としてよいだろう。
【註10】藤倉皓一郎「<論説>アメリカ最高裁判所の判例にみられる「家族」観」同志社法學 32(3/4)1980【ネット公開】、米沢広一「家族と憲法(二)」法学雑誌(大阪市立大)36巻1号1989年
【註11】 田中和夫「イギリスの婚姻法」比較法研究18号 25頁958 松下晴彦「グレトナ・グリーン「駆け落ち婚」の聖地」英米文化学会編『英文学と結婚-シェイクスピアからシリトーまで』彩流社所収2004 平松紘・森本敦「スコットランドの家族法」黒木三郎監修 『世界の家族法』 敬文堂所収1991
【註12】 岩志和一郎「ドイツの家族法」 黒木三郎監修 『世界の家族法』 敬文堂図書所収1991 ただし2017年になってhttp://www.afpbb.com/articles/-/3124128(ドイツ、18歳未満の婚姻禁止へ 難民流入で既婚少女増加)との報道がある。
【註13】 永水裕子「米国における医療への同意年齢に関する考察」山口直也編著『子供の法定年齢の比較法研究』成文堂2017年所収
【註14】 加本牧子(判解)法曹時報69巻5号208頁
【註15】犬伏由子(判批)「再婚禁止期間のうち100日超過部分を違憲とした事例」新・判例解説Watch(法学セミナー増刊)19号105頁2016年
【註16】ミッテラウアー,ミヒャエル、 ジーダー,ラインハルト/若尾夫妻訳『ヨーロッパ家族社会史』名古屋大学出版会1993 16世紀末から18世紀末にかけてのイギリスの村落のサンプルでは20~24歳の既婚者は男16%、女18%が既婚にすぎない。25~29歳でも46%と50%であった。むしろ近代産業革命により女性が工場労働に進出したことが持参金効果をもたらし初婚年齢を低くした。
【註17】 ルネ・メッツ/久保・桑原訳『教会法』ドン・ボスコ社1962年206頁
【註18】 守屋善輝『英米法諺』中央大学出版部 1973年356頁
【註19】船田享二『ローマ法第四巻』岩波書店 1971年改版
【註20】 カノン法において合意主義婚姻理論が採用された件について、主な参考文献
赤阪俊一「教会法における結婚」Marriage in the Canon Law埼玉学園大学紀要. 人間学部篇 8号【ネット公開】2008年
枝村茂「婚姻の秘跡性をめぐる神学史的背景」アカデミア 人文自然科学編,保健体育編(南山大学) 25号197頁1975年
柴田敏夫「「コモン・ロー・マリッジ」略史」A Concise History of "Common Law Marriage"大東法学 14 1987年
島津一郎『妻の地位と離婚法』第4章2イギリスにおけるコモン・ロー婚の展開 有斐閣1974年
直江眞一「アレクサンデル三世期における婚姻法 : 一一七七年六月三〇日付ファウンテン修道院長およびマギステル・ヴァカリウス宛教令をてがかりとして」法政研究. 81 (3)2014年【ネット公開】
波多野敏「フランス、アンシャン・レジームにおける結婚の約束と性関係」Promesses de mariage et relations sexuelles dans la France de l'Ancienne Regime京都学園法学 創刊号1990年【ネット公開】
福地陽子1956「<論説>カトリック教婚姻非解消主義の生成と發展<Article>THE GROWTH AND DEVELOPMENT OF THE CATHOLIC PRECEPT AGAINST DIVORCE」法と政治 7(4)1956年【ネット公開】
ウタ・ランケ−ハイネマン/高木昌史ほか訳『カトリック教会と性の歴史』三交社1996年
18-4 : 1」紀要3 東京神学大学【ネット公開】
フレデリック・ジュオン・デ・ロングレイ/有地亨訳「フランス家族の成立過程 : フレデリック・ジュオン・デ・ロングレイ著"Le precede de la formation de la famille francaise" : F. Jouon des Longrais」法政研究 34(1) 1967年【ネット公開】
なお教会裁判所の民事裁判権について吉田道也「教会裁判所の民事裁判権の終末」The End of Civil Jurisdiction of the Ecclesiastical Court法政研究 22(1)1954年【ネット公開】
[本文の補足]
教会婚姻法とは教皇に上訴された具体的な婚姻事件などについて教皇の教令などを採録した体系的集成のことで、1234年の教皇庁公認の『グレゴリウス9世教令集』に婚姻法関係が全21章166条収録されているが、その三割強がアレクサンデル3世の教令であり[直江眞一2014]、同教皇が決定的な意味でパリ学派の合意主義婚姻理論を採用したのである。正確にいえば緩和的合意主義といい、現在形の言葉による約束で婚姻が成立し、合衾(床入り)で完成婚(婚姻の解消しえない絆)となるというもので、合衾以前に二人とも修道生活に入れば離別は可能としている。
(もっとも教皇の免除により政略的な結婚も可能だった。例えばヘンリー2世の娘ジョーン10歳をシチリア王グリエルモ2世の妃にしたのは、皇帝とシチリア王国の同盟を阻止する目的で教皇が熱心に勧めた政略的縁談だった。教皇はオールマイティである。)
直江眞一[2014]の学説史研究によれば、Ch・ドナヒューは1976年の論文でアレクサンデル3世の法理論の新しさは当事者の合意の強調にあったとした。そのような意味で文明史の方向性を定めた教皇といえるのである。しかし2012年にA・ダノンがドナヒューを批判し、1140年教皇インノケンティウス2世がウィンチェスター司教宛ての教令ですでにパリ学派の合意主義婚姻理論により裁決をしており、アレクサンデル3世登位以前から教皇庁内ではフランス学派の理論の影響があったとしているが、インノケンティウス2世の教令は偽書とする説もあり、決着はついていないが私は偽書の蓋然性が高いとの感想をもった。
合意主義の理念は我が国でも基本的に継受している。憲法24条1項は「婚姻は両性の合意のみに基いて成立し」としているがもとをたどれば古典カノン法の無式合意主義婚姻理論に由来する。憲法24条起草者が西洋の法文化であるとしても古典カノン法を意識してはいないと思うが、その由来は教皇アレクサンドル3世の教令「ウェニエンス・アド・ノース」の婚姻理念にある。
補足すると、教皇アレクサンデル3世は教令「ソレト・フレクェンテル」の中で、秘密結婚を契約した当事者たちは呪われるべきだし、結婚の合意は証人の前で交換されねばならないと規定したけれども、こうした要請の遵守を有効な結婚の条件とすることを差し控えた。
一方教令「クォド・ノービス」の中で結婚は「合理的で合法的な理由があれば」秘密裡に契約しても構わないとした。
教令「スペル・エオ・ウェロ」の中では、司祭の立会なく、あるいは厳粛さがなくても、現在形の言葉による合意によって契約された結びつきは、完全な拘束力を持つとした。[赤阪俊一2008]
このように秘密婚に対して批判的な教令と許容的な教令が混在しているのだが、1170年代の教令は無方式合意主義を確定したとされるのである。
教会法はローマ法を継受し婚姻適齢を男14歳・女12歳としているが、教皇アレクサンデル3世は、婚姻適齢前であっても合衾により完成婚に至ったならば性関係を続けなければならないとしているので、合衾(床入り)が可能なら実質婚姻適齢といえる。
ちなみに現在のカトリック教会は20世紀にカノン法を廃止し成文法典を定めているが「婚姻は法律上能力を有する者の間で適法に表示された当事者の合意によって成立する。この合意はいかなる人間の力によっても代替されえない」(第1057条1項)[枝村茂「カトリック教会法における婚姻の形式的有効要件とその史的背景」宗教法学3 1985]と合意主義婚姻理論を継承しており、婚姻適齢は男16歳女14歳としているものの古典カノン法の理念と本質的には変わってないといえる。
ではなぜ、グラティアヌスなどの合衾主義は採用されず合意主義となったのか。
第一にヨゼフは許婚者とされるのがならわしだが、サンヴィクトルのフーゴーはマリアとヨゼフの間に真実の結婚があったと主張した。合衾がなくても婚姻が成立するとすれば処女懐胎と矛盾しないのである。[ランケ=ハイネマン1996]
第二はうがった見方だが、当事者の合意が決定的で、主君や血族のコンセンサスを排除したのは、強制的な結婚を否定することにより修道院に優れた人材を供給するためだったともいわれる。結婚の自由は、結婚せざる自由と裏表の関係にあり、独身主義優位思想が逆説的に結婚の自由を生んだともいえる。
第三に合意主義はイギリスからの婚姻事件上訴による教皇受任裁判(アンスティー事件についてはわが国でも研究されている)の教皇の裁定により教令集に採録されたもので、基層文化として婚前交渉に許容的な北西ヨーロッパに合致していた。結婚において処女性を重視する地中海沿岸地域では合衾主義でもよかったが教会法はどの地域でも通用する普遍的な制度を採用したのである
第四に合衾(床入り)に証人を求めることが困難な場合があるが、言葉による誓約なら証人の存在により婚姻成立を確定できる。カノン法の証拠法は世俗法に先行した意義を有している。
【註21】塙陽子「カトリック教会婚姻不解消主義の生成と発展」『家族法の諸問題(上)』信山社1993年
【註22】 鵜川馨『イングランド中世社会の研究』聖公会出版1991年531頁
【註23】前掲リック・ジュオン・デ・ロングレイ34頁、滝澤聡子5「15世紀から17世紀におけるフランス貴族の結婚戦略 : 誘拐婚」人文論究55巻1号2005年【ネット公開】
教会法学者はローマ法をさらに緩く解釈した例としてJL・フランドラン/宮原信訳
『性の歴史』藤原書店1992年342頁。「要求される年齢はいくつか?女子は最低11歳半、男子は13歳半である‥‥ただし、法律のいう、早熟が年齢を補う場合は別である。その例=10歳の少年が射精、もしくは娘の処女を奪い取るに足る体力・能力を備えているならば、結婚が許されるべきこと疑いをいれない。‥‥男との同衾に耐え得る場合の娘についても同様であり、その場合の結婚は有効である」Benedicti, J1601. La Somme des péchés1601。
【註24】 一例として社本時子『中世イギリスに生きたパストン家の女性たち-同家書簡集から』創元社1999年 ノーフォーク州の名家パストン家書簡集にある1469年の長女マージョリー20歳と家令リチャード・コール30歳代の秘密結婚をノーリッジ司教は正当な結婚とする。
【註25】枝村茂「カトリック教会法における婚姻の形式的有効要件の史的背景」宗教法学3 1985、前掲リック・ジュオン・デ・ロングレイ論文、滝澤聡子論文
【註26】英国の古き婚姻約束の法(コモン・ローマリッジ)の研究の参考文献としては、岩井託子『イギリス式結婚狂騒曲 駆け落ちは馬車に乗って』中公新書2002年、加藤東知『英国の恋愛と結婚風俗の研究 』日本大学出版部1927年、栗原真人「 <論説>秘密婚とイギリス近代 (1)」香川大学 11巻1号1991年a【ネット公開】「〈論説>秘密婚とイギリス近代 (3)」 香川法学 12巻1号 1992年【ネット公開】、「<論説>秘密婚とイギリス近代(4・完)」 香川法学 12巻2号 1992年b【ネット公開】「 フリートとメイフェア : 一八世紀前半ロンドンの秘密婚」 香川法学 15巻4号 1996年、柴田敏夫「「コモン・ロー・マリッジ」略史」A Concise History of "Common Law Marriage"大東法学 14 1987年【ネット公開】、不破勝敏夫「Common Law Marriageについて-1-」山口経済学雑誌 8(3)1958年、「Common Law Marriageについて-2-」山口経済学雑誌 8(4)1958年、松下晴彦「グレトナ・グリーン「駆け落ち婚」の聖地」英米文化学会編『英文学と結婚-シェイクスピアからシリトーまで』彩流社所収2004年
ちなみに古典カノン法と、英国の「古き婚姻約束の法」「コモン・ローマリッジ」と称されるものは同じである。これはメイトランドが、イングランド婚姻法とはローマ教会婚姻法そのものだと述べているとおりである。
当時の教会裁判所実務については栗原正人[1991]が、名誉革命後の権威書であった ヘンリ・スィンバーンH.Swinburne(1551~1624)の「婚姻約束もしくは婚姻契約論」を検討している。
同書は1686年に出版され、1711年重版となっているが、婚姻適齢について、7歳以上は「将来形の婚姻約束」ができる。法定婚姻適齢は男子14歳、女子12歳であり「現在形の婚姻約束」によって婚姻が成立する。「『我は汝を我が妻とする。I will take thee to my Wife 我は汝を我が夫とするI will take thee to my Husband』というような現在形の言葉を用いてなされた婚姻約束を結ぶ男女は、いかなる合意によってもこの婚姻約束を解消しえないし、実体の点でも夫婦そのものとみなされ、婚姻の解消しえない絆があるとみなされる。従って、彼らのいずれかが実際に第三者と結婚式を挙げ、その人と肉体関係を結び、子供ができたとしても、この婚姻は不法なものとして解消され、結婚した当事者は姦通者として罰せられる。その理由は、これは将来の行動の約束ではなく、現在の完全なる合意だからである。この合意だけが公けの挙式も肉体関係もなしに婚姻を創設する。公の挙式も肉体関係も婚姻の本質ではなく、合意こそが婚姻の本質なのである。現在時制の言葉によってこのように完全に保証された男女が神の前での夫婦である」
この内容は、ロンバルドゥスの合意主義婚姻理論そのものであり、12世紀の教皇アレクサンデル3世のノーリッジ司教宛ての教令とも似ている。
この権威書はイングランド婚姻法=古き婚姻約束の法=コモン・ローマリッジが、古典カノン法そのものだったという証拠といえる。
古き婚姻約束の法は生ける法であり、英国教会主教の統治の及ばない、特別教区、特権教会、たとえばロンドンのメイフェア礼拝堂や、フリート監獄のような特許自由地域が秘密婚センターとなった。親の同意のない21歳未満であっても容易に婚姻することができた。主教(司教)の統治の及ばない、特別教区、特権教会の特権は12世紀のアレクサンデル3世の教令に由来する。理論上は教皇の直轄なのでカノン法がそのまま適用されるということである(英国教会は1604年法で、婚姻予告もしくは婚姻許可証による挙式と、未成年者の親の同意要件を定めていたが、それによらない自由な結婚が可能だったということ)。
1740年のロンドンで結婚する人々の二分の一から四分の三は秘密婚であったとされる[栗原1996]。多くの人々が婚姻予告を嫌い、教区教会の挙式ではなく、結婚媒介所での個人主義的な自由な結婚を行っていたのだ。
1753年「秘密婚をよりよく防止するための法律」(通称ハードウィック卿法)は、フリート街の居酒屋等における聖職禄を剥奪されたフリート監獄の僧侶による結婚媒介所が一大秘密結婚センターとなったことが国の恥と認識されたことにより、 反対意見も少なくなかったが、イングランドで500年以上継続した古き婚姻約束の法を議会制定法により無効としたものであり、死文化した1604年法をあらためて、世俗議会制定法としたものである。フランスより200年遅い婚姻法の還俗化であったが、皮肉なことに還俗化とは、クエィカーと、ユダヤ人を除いて教会挙式を強要することだった。 すなわち、国教会方式の教会挙式婚を有効な婚姻とし、21歳以下の未成年者は親ないし保護者の同意を要するとした。 [栗原真人1992b]
しかし1753年法はスコットランドには適用されず、俗人の証人のもとでの現在形の言葉での合意で容易に婚姻が成立する古き婚姻約束の法(古典カノン法)はなお有効だった。 また協定によりイングランドの住民がスコットランドの婚姻法により結婚してもそれは有効とされた。
このため未成年者で親の同意のないケース、駆け落ちなど自由な結婚を求めるカップルの需要に応え、スコットランドの国境地帯の寒村に続々と結婚媒介所が営業するようになった(フリート婚に代わる秘密婚センターに)。 グレトナ、グリーンは西海岸で、東海岸ではコールドストリームが有名だが、スコットランド越境結婚を総称してグレトナ・グリーン結婚と言う。
結婚に反対する親族の追跡を振り切るため、四頭立て急行馬車を雇い上げ、純粋な愛に燃えるカップルが胸を轟かせスコットランドを目指すロマンチックな風俗は、恋に恋する乙女たちの憧れとなり、18世紀の多くの文学作品で題材となっている。 このために、グレトナ・グリーンは純粋な恋愛結婚の聖地とされるのである。 西洋結婚風俗史のハイライトといえるだろう。 [加藤東知1927、岩井託子2002]
語り継がれる華麗な駆け落ち婚について一例のみ引用する。 1782年スキャンダルの元祖といわれる銀行家チャイルド家一人娘セアラ・アン15歳と金欠貴族ウェスモランド伯爵の駆け落ちである。 ロンドンのメイフェアからスコットランドまで凄まじい追跡劇となり、銃で馬を撃ち合い、四頭馬車が、三頭になったが無事スコットランドに越境して結婚した。 その孫娘のアディラ19歳も1843年士官と駆け落ちし、グレトナで結婚している。 この時代は馬車でなく鉄道であった。 [岩井託子2002 83頁]
グレトナ・グリーン結婚の斜陽化は過当競争で結婚媒介料が低廉化し、風紀が乱れ、有名人士が嫌うようになったこと。 鉄道の開通により馬車で駈ける風情がなくなったこと。 決定的には1856年のプールアム卿法で、スコットランド法による結婚はスコットランド人か、スコットランドに3週間居住した住民に限られるようにしたことである。
要するにイングランド人は、19世紀の半ばまで、古典カノン法が生きていたので、未成年であっても親の同意の必要ない自由な結婚が可能だった。
【註27】 清水潤「コモン・ロー、憲法、自由(3)」中央ロー・ジャーナル14巻13号2017年
【註28】第一コリント7章1-5節(田川建三訳)
「‥‥人間にとっては、女に触れない方がよい。しかし淫行(を避ける)ために、それぞれ自分の妻を持つが良い。また女もそれぞれ自分の夫を持つが良い。妻もまた夫に対してそうすべきである。妻は、自分の身体に対して、自分で権限を持っているのではなく、夫が持っている。同様に、夫もまた自分に対して自分が権限を持っているのではなく、妻がもっているのである。互いに相手を拒んではならない。‥‥‥」
13世紀の組織神学者オーベルニュのギヨーム(1180頃〜1249)は、若くて美しい女性と結婚することがより望ましいとした。その理由は、美人を見ても氷のようでいられるから。淫欲の治療薬、情欲の緩和としての結婚の意義を認めた。パウロのテキストに忠実な見解だと思う。私が16・17歳女子の婚姻にこだわる理由はまさしくこのことである
【註29】 第一コリント7章8-9節(田川建三訳)
「結婚していない人および寡婦に対しては、私のように(結婚せずに)いるのがよい、と言っておこう。もしも我慢できなければ、結婚するが良い。燃えさかるよりは、結婚するほうがましだからである。」
【註30】ウタ・ランケ−ハイネマン/高木昌史ほか訳『カトリック教会と性の歴史』三交社1996年 77頁
【註31】 島津一郎『妻の地位と離婚法』有斐閣1974年 第4章2イギリスにおけるコモン・ロー婚の展開 240頁
【註32】泉ひさ「結婚の意義と条件--心理学的調査及び考察」アカデミア 人文自然科学編,保健体育編(南山大学) 25号1975年317頁
【註33】枝村茂「カトリック教説における婚姻の目的の多元性」 アカデミア 人文自然科学編,保健体育編(南山大学)1980年 31号1頁
【註34】枝村茂前掲論文
【註35】枝村茂前掲論文
【註36】同姓婚人権救済弁護団前掲書2015年
【註37】 稲福日出夫5「<論説>ミルトンの離婚論 : 法思想史におけるその位置づけ」同志社法學 37巻1/2号1985年【ネット公開】
【註38】鈴木繁夫「交わりの拡張と創造性の縮小 : ミルトンの四離婚論をめぐる諸原理について」言語文化論集 (名古屋大学)26巻1号2004年【ネット公開】
【註39】平井正穂『ミルトン』研究社出版1958年。ただし17歳とする論文も多い。
【註40】佐藤哲也「近代教育思想の宗教的基層(1) : コトン・マザー『秩序ある家族』(1699)」) 宮城教育大学紀要 47号2012年【ネット公開】
【註41】斎藤光『エマソン』研究社出版1957年39頁。
【註42】桜田勝義『輝やく裁判官群像 : 人権を守った8人の裁判官』有信堂1973年
【註43】佐藤全『米国教育課程関係判決例の研究』風間書房1984年、中川律「合衆国の公教育における政府の権限とその限界(1)1920年代の連邦最高裁判例Meyer判決とPierce判決に関する考察」法学研究論集29 2008年【ネット公開】、「合衆国の公教育における政府権限の限界-ロックナー判決期の親の教育の自由判例/マイヤー判決とピアース判決に関する研究」憲法理論研究会編『憲法学の最先端』敬文堂2009年所収、マーネル.W『信教の自由とアメリカ: 合衆国憲法修正一条,十四条の相剋』新教出版社1987年、米沢広一 「子ども、親、政府-アメリカの憲法理論を素材として-1-」神戸学院法学 15巻2
号1984年。
【註44】同姓婚人権救済弁護団前掲書2015年237頁オーバーガフェル判決の翻訳
【註45】藤倉皓一郎「<論説>アメリカ最高裁判所の判例にみられる「家族」観」同志社法學 32(3/4)1980年【ネット公開】、米沢広一「家族と憲法(二)」法学雑誌(大阪市立大)36巻1号
【註46】船田享二『ローマ法第四巻』岩波書店1971年改版 24頁
【註47】高橋正明『ロバーツコートの立憲主義』大林啓吾・溜箭将之編 成文堂 2017年第三章平等-ケネディ裁判官の影響力の増加
【註48】渡邊昭五『梁塵秘抄にみる中世の黎明』岩田書院 2004年142-143頁
【註49】小木新造『東京庶民生活史研究』日本放送協会1979年 309頁 市川正一「男女婚嫁ノ年齢ヲ論ス」1881年6月『東京雑誌』第一号
【註50】板坂則子『江戸時代恋愛事情』朝日選書2017年
【註51】 国会図書館調査及び立法考査局 佐藤 令 大月晶代 落美都里 澤村典子『基本情報シリーズ② 主要国の法定婚姻適齢』2008年【ネット公開】)
【註52】https://www.unicef.or.jp/about_unicef/about_act04_04.html ジェンダーの平等の達成のために児童婚は有害と主張、児童婚は子供の人権侵害と決めつける異常な思想。
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