国会議員への意見具申 民法731条改正(女子婚姻適齢引上げ)、737条及び757条の廃止に強く反対し、修正案を提案する 要旨新バージョン
国会議員への意見具申
民法731条改正(女子婚姻適齢引上げ)、737条及び757条の廃止に強く反対し、修正案を提案する
東京都水道局勤務58歳
川西 正彦 (都立園芸高等学校園芸科卒)
突然の不躾なメールをお許しください。軽輩にもかかわらず、厚かましくも長文で失礼しますが、虫けら同然の全く社会的地位も何もない一国民がたんに意見を具申(不特定多数の政治家に 非公式的に)するものです。先生方がご多忙なのは重々承知で、もし興味があればご覧いただきたい程度の趣旨ですので、他意はございません。ご笑覧いただければ幸甚に存じます。
もちろん標記の件は政治家にとって何のメリットもないし、反対世論もない。こんなことにエネルギーをさくのは無駄と考えられるのが普通だとは思いますが、しかしながら婚姻の自由は核心的に重要な価値とする立場でこの問題にはこだわりがあるため事態を傍観できないため上記の件につき意見を上申します。(なお私自身は生涯未婚でその意欲もありませんが、自己の婚姻の自由、幸福追求権、配偶者選択の範囲が縮小する問題として利害を有しており当然発言権のある問題と考えます。)
かなり前に既定方針化され今更修正などできないといわれるかもしれません。しかし土壇場の状況であってもそ政治にはハプニングがつきものなので全く無意味ではないと考えました。
無論、情勢が不利であることはわかってます。私としては社会一般にもアピールしたいと考えますが、今のところ好意的な意見の一般人は少数で見込みがないです。とはいえ反対の声を出しておけば一応「婚姻の自由」という文明史的理念のために抵抗したというアリバイづくりになるので、人生に絶望せず自己同一性が崩壊しないですむため私の文書活動は自分自身が生き残るためのものでもあるので、文章上の失礼の段、ご海容願います。
私の修正案
成人年齢18歳引下げに伴う関連法案として、政府は民法731条を改正するとし、女16歳から男女とも18歳として新成人年齢と一致させる。また未成年者の婚姻の父母の同意(737条)と、未成年者の婚姻による成人擬制(753条)を廃止する方針であるが、強く異を唱え反対する。
私の修正案は、当事者の一方が18歳以上であれば、他方は18歳未満16歳以上で結婚できるように修正し、737条と753条も維持することを提案するものである。
731 条(婚姻適齢)修正案
婚姻するには当事者の一方が満十六歳に達し、他方が満十八歳に達していることを要する
(男女取扱いの差異をなくしたうえ、16・17歳女子の婚姻資格をはく奪する蛮行を避ける無難な法案である)
737条(父母の同意要件-廃止せず維持)
753条(成年擬制-廃止せず維持)
本音を言えば法改正それ自体反対である、しかし、男女別の取扱いの差異に固執するのは得策でないと考え、取扱いの差異をなくして平等を達成しつつ、古より婚姻に相応しい年齢とされてきた16歳・17歳女子の婚姻資格剥奪を避ける修正案を提案するものである。
婚姻年齢の制限は、婚姻適応能力のない未熟な段階での婚姻がその者の福祉に反することが懸念されるということにあるといえるだろう。
したがって16歳・17歳女子の婚姻資格をはく奪するにあたっては、それが当事者の福祉に反する、あるいは当事者の最善の利益にならないもしくは、取り返しのない負担を課すという合理的な根拠がなければならない。
しかし、これまで法制審議会その他が示した法改正趣旨に合理的なものがひとつもないのである。
結婚し家庭を築き子供を育てる権利、婚姻の自由は、憲法一三条、二四条一項と密接な関連のある法的利益であり、安易に剥奪されるべきものではない。
外国の立法例では、親・保護者の同意要件のもとでイングランドやアメリカ合衆国34州(2016年の段階、同意に加え補充要件規定では殆どの州)カナダの主要州が男女とも婚姻適齢を16歳と定めている。合衆国においても我が国の成年擬制と同様の未成年解放制度があるので婚姻適齢は男女共16歳でもよいと思うが、成年擬制との関連で反対論がより少ないと想定する、男女を問わず当事者の一方が新成人年齢の18歳なら、他方は16歳の結婚を認め、従前の16・17歳女子の婚姻資格を喪失させない2016年までのドイツの法制を修正案のモデルとして採用した。
以下修正案提案理由要旨 2つのバージョンを記載しております。 これより詳しい理由は添付ファイルのPDF(本文A416頁)、もしくは下記をご覧いただければ幸甚に存じます
(提案理由の詳細は特設ブログをご覧ください。川西正彦のこれが正論だ 民法731条改正、737条及び757条の廃止に反対し、修正案を提案する 、引用参考文献リストもあります。 動画も作っておりYOUTUBEチャンネルはmasahiko kawanishi、ニコニコ動画でもニックネーム「川西正彦」で公開してます)
修正案提案の説明(要旨)
1. 男女の取り扱いの差異を廃す立法目的は認めるが、16歳・17歳の婚姻資格を剥奪し婚姻の自由を抑制する立法趣旨は不当なもので論理性もない
(1)男女の取り扱いの差異を廃し、形式的平等とする立法目的は認めるが、婚姻の自由を抑制しない在り方とすべきである。
本音を言えば、現行法制のままでよいと考える。男女取扱いの差異については生理的成熟の男女差が基本にあり、事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものとして憲法14条1項違反にはならない。1996年法制審議会答申の民法部会長の加藤一郎元東大総長の学説も合憲であった。なお女子差別撤廃条約(アメリカ合衆国が批准していないので、これが国際的スタンダードな考え方とはいえない)は人権条約の実施措置としてはもっとも緩い報告制度をとっている。締約国の義務は国連の女子差別撤廃委員会(CEDAW) に条約批准の一年後とその後は四年ごとに条約の実施のためにとった立法上、司法上、行政上のその他の措置の報告をするだけにすぎない。CEDAWの権限は弱く条約十八条で提案と一般的勧告をを行うことができるが条文の解釈は締約国に委ねられいるから(註1)、勧告に強制力はないので問題にせずともよいというのが私の主張である。
我が国の婚姻適齢法制は次のとおりである。
●令制 養老令戸令聴婚嫁条 男15歳、女13歳(数え年 唐永徽令の継受、大宝令も同一、飛鳥浄御原令も一応同一というのが通説である。また戸婚律に罰則規定はない。十三鉄漿つけという語があるように江戸時代においても意味をもっていた)(註2)
●明治初期~明治31年 成文法なし(ただし改定律例260条「十二年以下ノ幼女ヲ姦スモノハ和ト雖モ強ト同ク論スル」より13歳以上が婚姻適齢と解釈される 註3)
●明治民法(明治31年施行) 男17歳、女15歳(母胎の健康保持の医学上の観点による)
● 戦後民法 男18歳、女16歳(米国で多くの州が採用していたため)
婚姻適齢の文明史的グローバルスタンダードは、ローマ法、カノン法、コモン・ロー共通の男14歳・女12歳であり、唐永徽令、日本養老令の男15歳、女13歳も数え年なので実質的に同じと言ってもさしつかえない。これはほぼ自然法といってもよい。カノン法はもっとも緩く、合衾可能ならば早熟は年齢を補うという趣旨で婚姻適齢未満であっても適齢としたように、婚姻の自由が重視されている。
いずれも2歳の男女差をもうけているから、男女取扱いの差異は合理的なものと判断する。
ちなみに米国では、1970年代の統一婚姻離婚法のモデル立法(註4)が、男女共、親の同意要件による婚姻適齢を16歳としたことと、男女平等憲法修正条項(ERA)が1972年に議会を通過し、各州の批准の過程で、多くの州が男子の婚姻適齢を引下げて男女平等に法改正したが、結局憲法修正は頓挫したため、オハイオ州が男18歳、女16歳であるように差異のある州もあるのだから、男女平等になびく必然性はない。
とはいえ、この土壇場の状況で男女取扱いの差異に固執するのは得策でないと判断し、形式的平等にする立法目的をあえて認めるものである。
ただし従前の16・17歳女子の婚姻資格を剥奪し、婚姻の自由を抑制することは、憲法13条、24条 1項と密接にかかわる法益、幸福追求に不可欠な結婚し家庭を築き子供を育てる権利の侵害であるからこれに強く反対し、婚姻適応能力がないという決めつけも全く不当であるから政府案ではなく、次のような修正案が必要であると考える。
A 英国(註5)やアメリカ合衆国の多くの州(註6)がそうであるように、男女共16歳を婚姻適齢とする
B 東西統一から2016年までのドイツ(註7)のように、18歳を原則としつつも、一方の配偶者は16・17歳であっても他方が18歳以上ならば婚姻可能とする
私の修正案がBをとったのは、成年擬制を維持するので、より専門家の反発が少ないと想定する案を採用したものであるが、Aであってもさしつかえない。
要するに、結婚する権利を剥奪、縮小せず、男女取扱いの差異をなくすことができるのだからより国民の権利に対してより弾圧的でない手段をとるべきである 。
日弁連女性委員会は均等法以前の70年代から男女平等のシンボルとしたいという意向で、女子婚姻適齢引き上げを主張してきており、それに法制審議会や法務省が追随したのが政府の改正案だが、女性政策は当時より格段に進歩した今日にあって、政治的スローガンの達成の意味は薄くなってきているにもかかわらず、国民の権利を剥奪する方向での男女平等には反対なのだ。平等を達成したい女性団体の言い分も聞いているのだから、反対する理由はないはずである。
しかし、ジェンダー論者やマルクス主義フェミニズムの立場から次のような難色が示されるだろう。
16・17歳は男女を問わず条件つきで婚姻可能として婚姻適齢を形式的に平等としても事実上未成年者の方は女子が大多数となるはずで、16・17歳女子の結婚は、男性側の稼得能力に依存するものとなりがちであり、女性の社会進出に有害であり、夫婦の役割分担の定型概念を助長し好ましくないというのだろう。
しかしながら、民法750条は夫方の姓が大多数であっても、文面上平等な規定である以上法の下の平等に反しないとされたように、形式的平等以上に踏み込む理由はない。ジェンダー論やマルクス主義はわが国の公定イデオロギーではなく、民法を特定の思想による社会改革の道具とすべきではない。安倍首相が推進している政策も総じて社会主義政策であり、ジェンダー論者やマルキストに近い思想と考えられるが、だからといって国民が安倍首相の思想に染まる必要はないのである。
家庭倫理 や夫婦の性的分業、役割分担は私的自治の領域であり、政府が左翼思想に基づきイデオロギー的に干渉するのは間違いであり、それは全体主義的統制だろう。
男性側が主たる稼ぎ手となる伝統的な規範にもとづく性的分業の婚姻家族であれ、現代風の「あなそれ」夫婦であれ、法律婚として保護されるべきであり、この点政府は中立であるべきである。例えばチェコは1989年のビロード革命で、夫婦共働きが当然だったのが、専業主婦を選択する自由を得ることができたのであって、女優を捨てて家庭婦人を宣言した堀北真希、専業主婦の藤井聡太四段の母、敬語を使わない妻を叱るという亭主関白の太川陽介が、安倍首相は気に入らないかもしれないが夫婦役割分担の定型概念を助長し、女性活躍推進、ジェンダー論に反する不逞な輩として制裁される必要はないのであり、それと同じことである。
(註1)浅山郁「女子差別撤廃条約の報告制度と締約国からの報告 (女性そして男性) -- (外国における女性と法) 」『法学セミナー増刊 総合特集シリーズ 』日本評論社 (通号 30) [1985.07]
(註2)専論としては利光三津夫の「奈良時代の婚姻年令法について」『律の研究』1明治書院1961年、高島正人「令前令後における嫡長子相続制と婚姻年令」『対外関係と社会経済』塙書房1968年
(註3)小木新造『東京庶民生活史研究』日本放送協会1979年 309頁 市川正一「男女婚嫁ノ年齢ヲ論ス」1881年6月『東京雑誌』第一号
(註4 )村井衡平「【資料】統一婚姻・離婚法(案) : 一九七〇年八月六日公表第一次草案」神戸学院法学 5巻2・3号1974年
(註5) 田中和夫「イギリスの婚姻法」比較法研究18号 25頁958 松下晴彦「グレトナ・グリーン「駆け落ち婚」の聖地」英米文化学会編『英文学と結婚-シェイクスピアからシリトーまで』彩流社所収2004 平松紘・森本敦「スコットランドの家族法」黒木三郎監修 『世界の家族法』 敬文堂所収1991
(註6)コーネル大学ロースクールのMarriage Laws of the Fifty States, District of Columbia and Puerto Rico https://www.law.cornell.edu/wex/table_marriage 2017年春の段階で大多数の州が(34州) 男女とも16歳を法定婚姻年齢(ただし16・17歳は親ないし保護者の同意を要する)とし、加えて16歳未満でも補充要件規定で裁判上の承認等により婚姻可能としている州が多い。(Pew Research CenterのChild marriage is rare in the U.S., though this varies by stateNovember 1, 2016 http://www.pewresearch.org/fact-tank/2016/11/01/child-marriage-is-rare-in-the-u-s-though-this-varies-by-state/によれば、16歳と17歳は34州で親の許可を得て結婚することができる。と記載されている
(註7)岩志和一郎「ドイツの家族法」 黒木三郎監修 『世界の家族法』 敬文堂図書所収1991 ただし2017年になってhttp://www.afpbb.com/articles/-/3124128(ドイツ、18歳未満の婚姻禁止へ 難民流入で既婚少女増加)との報道がある。
(2)「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度 に重きを置いて定めるのが相当」という法改正趣旨に正当性はない
これは16・17歳女子の婚姻資格を剥奪する口実として全く不当な立法趣旨である。我が国の法律婚制度は、基本的に民間の慣習を尊重し自由主義的な性格のものである。届出主義により容易、挙式も要求していない。政府がライセンスを発行するものでなく、社会的地位や稼得能力を役所が審査するようなことは全くない。離婚も協議離婚により比較的容易。明治民法においても儒教道徳の立場から逆縁婚(亡兄の嫂を娶る)禁止の主張を排し、庶民の家族慣行を重視しており、結果的に戦争未亡人の多くが逆縁婚で再婚しており、無用の混乱を起こすことなく済んだように、自由主義的な性格を有していた。
婚姻の自由とは当事者の合意を基本として、社会的・経済的条件・利害にかかわるハードルを設けないという理念であり、憲法24条1項の婚姻の自由の趣旨を重視するなら、婚姻適応能力の判定として適切でない漠然不明確な社会的・経済的成熟度なる概念を口実として結婚する権利を奪うのは全く不当であり、婚姻は、自由でなければならぬ」Matrimonia debent esse libera(Marriages ought to be free)という法諺(註8)にも反するのである。
英国や、アメリカ合衆国の大多数の州、カナダ、オーストラリアなどで16歳で結婚可能であるが、英国人やアメリカ人は婚姻適応能力があると判定されている16・17歳が我が国において婚姻適応能力がないものとみなすのは不合理であるし、例えばキリスト教における結婚の理由づけが、新約聖書コリント前書7:2、7:9に根拠のある情欲の緩和(淫欲の治療薬としての結婚 註6)や、相互扶助の共同体(暖かい家庭)を築きたいという自然的欲求(16世紀のローマ公教公理 註7)だけで結婚の理由としてよいことになっており、近代個人主義的友愛結婚も、孤独から救済、慰めと平和を得るhappy conversationという個人的心理的充足を第一義とする結婚の理念(註8)であり、社会的経済的成熟度なるものを婚姻の要件とはしていないのである。
むろん世俗的慣行として結婚の前提として所帯を構えるには経済力が必要と考える人は多くそれは普通のことだが、それぞれ境涯の異なる万人に適用される法は当事者の合意が第一義なのでであって、経済的・社会的条件は婚姻成立要件から捨象して結婚を妨げないものであるべきなのである。
婚姻適齢は社会的・経済的成熟度に重きをおく政策というなら中国のように男22歳、女20歳に婚姻年齢を引上げる口実にもなりうるし、共産党独裁政権と大差ない政策と非難したい。
しかも結婚は相互扶助の共同体であるから、当事者の一方が稼得能力に乏しくても可能なのである。この点当事者の双方に相当な稼得能力を求める理由はなく、幸福追求権を否定するにあたっては高すぎるハードルである。女性に男性に劣らぬ稼得能力を有する成熟度を結婚の条件として要求するというのは、先に述べたジェンダー論やマルクス主義フェミニズムであるが、男女の役割分担、性的分業は私的自治にかかわる領域で、この点国民が政府によってコントロールされ干渉される理由はないから、当事者の双方ともに社会的・経済的成熟なるものを求めるのは不当なのである。
もちろん結婚の目的は多義的であってよく、筧千佐子被告が何度再婚を繰り返そうと、木嶋佳苗死刑囚が獄中結婚しようと自由であり、成人であっても疾病や障害等で稼得能力の乏しい人は存在するが結婚する権利は奪われないし、第三者からみてそれが釣り合いのとれない結婚とみられるものであれ、結婚は自由なのであって、政府が干渉する余地はないのだ。一方で、切実な思いで結婚し相互扶助共同体である家庭を築きたい若い女性のカップルの幸福追求はなにがなんでも妨げ、結婚よりも教育だ経済的自立だという特定の価値観を押し付けようとする日弁連女性委員会や児童婚をなくす運動をしている日本ユニセフ協会のメンツをたてなければならないというのは大変意地悪な法改正だといわなければならない。
16・17歳女子は古より婚姻に相応しく婚姻適応能力のある年齢と認識されており、むろん義務教育修了後の就労は労働法で規制されてないから、稼得能力がないということはない。社会が複雑化・高度化することによって婚姻適応能力を喪失するという根拠はなにもない。国民の権利、自由、幸福追求権を奪い取るにあたっては、それが当事者にとって最善の利益にならないとか、取返しのつかない負担を課すことになることが立証されるべきであるが説得力のある説明は何ひとつないのである。
1998年タレントの三船美佳16歳が40歳の歌手高橋ジョージと結婚し、鴛鴦夫婦として有名になったしマスコミ報道も好意的であった。2015年 離婚したが、仮に18歳で結婚したとしても同じことだろう。三船美佳はタレントとしても成功しており、この結婚が当事者の最善の利益ではなかったと証明することは不可能であるし、そう言い募るのは高橋氏に失礼だろう。
結局、なにがなんでも16・17歳女子の婚姻資格を剥奪したいというのは、若い女性に求婚する男性に対する敵意と、早婚女性への軽蔑にもとづくものであるか、法務当局の日弁連女性委員会や日本ユニセフ協会への阿諛追従にもとづくものであり、正当な立法趣旨とはいえないのであります。
私が、18歳引上げを長年主張してきた、日弁連女性委員会を全く信用していないのは、この委員会の主張が偏っていること。例えばトルコ風呂における売春の摘発を強化すべきだという主張である。私はトルコ風呂で遊んだ経験がないので実態を知らないが、仮にそれがあるとしても本来フェミニストというのは社会的弱者として売春婦の生活圏を守るための運動からはじまったことからすれば、トルコ嬢(現在ではソープ嬢という)の生活権を否定したり、男性の性欲や風俗営業を敵視するような主張は偏っており、幅広い社会階層を含む国民の権利よりも自分たちの独善的な価値観や生理的嫌悪感が前面に出ていると思ったからです。
婚姻適齢引上げについても、結婚より教育や経済的自立が重要という特定の思想ないし特定社会階層の独善的価値観にもとづくものであり、若くして事実上の関係ができてしまう女性に対する軽蔑を看取できるのであり、法制審議会や法務省は同じ身内、仲間の意見として尊重しているのかもしれないが、国会議員はより独立した立場であるから日弁連女性委員会のいいなりになることのないよう伏してお願いするものであります。
1990年代に16・17歳女子の結婚は年間3千組あった。2015年1350組程度に減少しているが、本来弁護士は少数者の権利を擁護すべき立場なのに、民法731条改正の目的が、男女平等のシンボルとしたいという政策的目的にあり、そのために年間3000組程度のカップルの幸福追求権は犠牲になって当然という冷淡さに私は嫌悪感をもつがゆえに、日弁連女性委員会に従うことはできないのであります。
女性政策はこの20~30年間に飛躍的に推進されており、いまさら民法731条を男女平等のシンボルにしなくても、女性団体の多くの主張が取り入れられている。このうえ民法731条もエリート女性団体のいいなりにというのはやりすぎである。女性活躍推進政策により高学歴エリート女子は、割り当て制などで昇進するのも、社会的威信のあるポストにつくのも俄然有利である。東大さつき会人脈といえば不倫も許される事実上の新特権階級だろう。エリート女性はなんでも優遇され得をしているのだからもうこれ以上の女性団体への迎合政策はうんざりなのだ。
(註8)守屋善輝『英米法諺』中央大学出版部1973年
2.良心的な女性法律家は改正案に反対している
今回の民法731条改正は平成8年(1996)の法制審議会民法部会答申民法一部改正案要綱を下敷きにしており、16・17歳女子の婚姻資格を剥奪し、男女とも18歳に婚姻適齢を揃えるというものであります。
これは70年代から日弁連女性委員会等女性団体が主張してきたもので、それに法制審議会が従ったものであります。男女共18歳婚姻適齢はソ連や東独で始まったものであり、社会主義国モデルを導入しようというものともいえます。均等法以降の女性政策が推進される前から主張されてきたことであり、これを男女平等のシン ボルにしようという意図が強かった。
しかし法制審議会でも反対意見を述べる方がいて、故人ですが女性初の高裁長官である野田愛子氏(註9 東京高裁判事として男女定年差別は違憲と判決、札幌高裁長官、中央更生保護審査会委員を歴任) は家裁での実務経験が豊富な立場から、虞犯女子が結婚すると落ち着くといった多くの例を知ってますと述べられ、90年代当時は16・17歳で結婚する女子が年間3000人(2015年には1357人)ほどいて事実上の関係ができ妊娠する女子の手当が必要なことから、現行法制のままでよいとされてます。
また民法学者では滝沢聿代氏(註10 元成城大学・法政大学教授) が、法制審議会が高校進学率の高まりを指摘し、婚姻年齢に高校教育終了程度の社会的、経済的成熟を要求することが適当であるとする法改正趣旨を論難され、中卒では婚姻適応能力がないとでもいうのかと非難されております。現実には、義務教育で終えるものも少なからず存在し、彼女たちこそ婚姻適齢法制の改正はより切実な問題といえます。また婚姻の自由の抑制も批判されております。
このように女性法律家でも良心的な方がいて反対しておられるのです。
今日では単位制高校など生徒の実態の多様性に応じて履修可能な高校もあり、家庭生活と両立も可能であり、婚姻適齢16歳が教育機会を奪うという主張に論理性はありません。実際16歳で結婚した三船美佳は横浜インターナショナルスクールを卒業してます。結婚のために義務教育以上の教育を要求するというのは全く論理性がありません。中卒の井山裕太囲碁七冠が離婚したのは婚姻能力がなかったとでもいうのか、これほど非論理的な立法趣旨は珍しい。
また政府が考えるほど進学がよいことだとは思いません。高卒で必ずしも安定した就職が可能ではないし、進学のために適応障害になったり、自殺願望をもって被害者となった女子高生もいるわけですから、当事者にとっての最善の利益が学業とはいえない場合もあります。女子は男子と比較して高卒と大卒の賃金格差が大きく、高学歴を促す賃金経済学的要因となっているのは事実ですが、だからといってすべての女子が賃金の高い大卒を目指さなければならない理由などなく、若い女性の結婚を否定する理由にはならないのです。
(註9)野田愛子 「法制審議会民法部会身分法小委員会における婚姻・離婚法改正」の審議について」(上)」戸籍時報419 18頁1993年
(註10)滝沢聿代「民法改正要綱思案の問題点(上)」法律時報66巻12号1994年11月号72頁
3.18歳婚姻適齢が世界的趨勢というのは虚偽
又、1996年当時法制審議会は18歳婚姻適齢が世界的趨勢と言っておりましたが、これは全く虚偽です。
英国が男女とも婚姻適齢16歳ですし、アメリカ合衆国は州ごとに婚姻法は異なりますが、私法統一運動があって、1970年代の統一婚姻・離婚法のモデル案(註11)では、16歳を親・保護者の同意要件のもとに婚姻適齢とし、16歳未満であっても補充用件規定の裁判上の承認によって婚姻を認めるものであります。
これは Loving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967) https://supreme.justia.com/cases/federal/us/388/1/case.html という連邦最高裁判決の影響があります。ウォーレン長官による法廷意見は「結婚の自由は、自由な人間が秩序だって幸福を追求するのに不可欠で重要な個人の権利の一つとして、永らく認められてきた。結婚は『人間の基礎的な市民的権利』の一つである。まさに我々の存立と存続にとって基本的なものである」とし(註12)、 このために、米国では男18歳、女16歳とする州が多かったのですが、多くの州は統一婚姻法モデルに従って男子を16歳に引き下げる法改正を行いました。またカナダの主要州も16歳は婚姻適齢です。現行カトリック成文法典では男 16歳女14歳なので、14歳での結婚を認めている国も結構あります。
虚偽を法改正の根拠としている。これほど悪質なものはありません。
法制審議会だからといってなんでも信用しないようにしてください。合衆国各州の婚姻適齢法制一覧で、信頼できるものとしてコーネル大学ロースクールの https://www.law.cornell.edu/wex/table_marriage Marriage Laws of the Fifty States, District of Columbia and Puerto Ricoがあるのでみてください。
(註11)村井衡平「【資料】統一婚姻・離婚法(案) : 一九七〇年八月六日公表第一次草案」神戸学院法学 5巻2・3号1974年
(註12)米沢広一 「家族と憲法(二)」法学雑誌(大阪市立大)36巻1号, 1頁1989年
4.近年攻勢を仕掛けている児童婚撲滅団体の主張は断固拒否すべき
もっとも、その後2008年にフランスが女15歳だったのを男女とも18歳とする法改正を行い(註13)、2017年にドイツが、従前では原則として18歳としつつも、配偶者の一方が16歳以上で婚姻可能としていた法制を18歳を原則とする法改正がなされるとの報道があります(註14) 。
これは近年児童婚撲滅運動が世界的に活発なロビー活動で攻勢を仕掛けていることと関連があります。フランスやドイツ の法改正趣旨はイスラム圏の移民・難民が多く、強制的な結婚、当事者にとって不本意な結婚から子どもの人権を守る趣旨だとされています。
法務省などは、我が国もフランスやドイツに追随すべきとして国会議員を説得すると思いますが、イスラム系移民や難民の少ない我が国とは事情の異なることに留意してください。
米国においても、2017年に児童婚反対運動のロビー活動によりクォモ知事が籠絡されニューヨーク州は最低婚姻年令を14歳から17歳に引上げてます。
しかし、私は児童婚撲滅運動は過剰なパターナリズムであり、婚姻の自由という文明史的理念を否定し、個人の幸福追求権を否定し結婚させないというのも異常で全体主義平等をめざすものとして反対です。
ちなみに教会法は結婚に関して中世より現代まで一貫して未成年でも親の同意要件を否定していて、結婚に関する自己決定権を重視し、当事者の合意を本質とする価値は一貫してます。スコットランドは16歳なら親の同意なく結婚できます。婚姻は、自由でなければならぬ」Matrimonia debent esse libera(Marriages ought to be free)という法諺があるように文明史的理念は婚姻の自由であって、結婚を悪とみなすカタリ派は異端で有り、アルビジョア十字軍によって徹底的に叩かました。。それと同じように、結婚を妨げることが人権だという思想は異端に属するものであり、児童婚撲滅運動は文明の敵とみなす。
ニューハンプシャー州は男14、女13とほぼコモンローに近い婚姻適齢ですが、婚姻適齢引上げ法案は議会が否決しました。ニュージャージー州は婚姻適齢引上げ法案にクリスティー知事が拒否権を行使しました。こちらのほうが良識的対応であります。
私としてはニューヨーク州の法改正はかなりショックでした。なんといってもニューヨークは大州ですから。しかし依然としてアメリカ合衆国の大多数の州は1 6歳が婚姻適齢であり、16歳未満でも多くの州で婚姻可能なことにかわりないことにご留意ください。
ユニセフは児童ポルノ撲滅運動でも影響力があったように今回の改正の背後にいるものと考えられますが、憲法13条及び24条1項と密接にかかわる婚姻する自由の法益と児童ポルノとは同一の問題ではないので、この点国会議員の先生は籠絡されないようお願いします。
我々は日弁連女性委員会やユニセフ、ヒューマンライツウオッチのようなこうるさい人権団体に従属しなければならない国民ではありません。この人たちのために国民の結婚の権利を縮小しなければならない理由はなにひとつないというのが私の主張です。
我国には外国でみられる売買婚や強制結婚という問題はありません。未成年者の結婚の多くは、情緒的に依存し最大の共感的理解者が結婚相手なのであり、お互いに励まし、喜びと苦労をともにすることによって、結婚し相互扶助共同体を形成することが最善の利益と判断してのものだと思います。家庭を築くことにより喜びは倍に、苦労は軽減され、慰めと平安が得られるのです。それによって人生の困難が乗り越えられ救われることも多いのに、結婚を妨害しようとする、政府・法制審議会は糾弾に値する。むしろ、待婚、我慢を強いることが苛酷であり、虐待であります。
是非とも国会議員に方々には結婚の価値を擁護していただきたい。未成年だからといって憲法13条、24条1項と密接なかかわりのある法的利益が一刀両断に切り捨てられるのは不当であります。女性団体や日弁連それに追従した法制審議会がすべて正しいのではないのです。また子供の人権擁護を標ぼうし、児童婚を撲滅せよと主張する人権団体が正しいわけでもないし、ユニセフが正しいわけでもない。私はこの問題があるからビタ一文ユニセフに募金はしません。
経過的内縁関係まで否定していないというかもしれませんが、私通はよいが結婚はダメというのは性倫理、道徳に反するし、法改正ののちは婚姻不適齢とされるのだから、たんなる私通ではすまされず世間から白眼視されることになる。高橋ジョージ氏のように、16歳の女子と事実婚する人は、それこそ袋叩きになるでしょう。法律婚で保護されない不利益は大きいし、長男、長女となるべき子供も非嫡出子にされてしまうのは人情にもとるのではないでしょうか。
政治家にとっては日弁連女性委員会様や日本ユニセフ協会様の主張に阿諛追従していくのが処世術としては正しいと思われます。16・17歳女子婚姻資格を剥奪せよとの大合唱はあっても、婚姻の自由の抑制に反対という人は少ない。国民全体の利益や国民の権利の擁護より圧力団体に奉仕して票を獲得するのが国会議員の仕事であることはもちろんわかってます。だから議員のほとんど大多数は法制審議会や法務省が支持していることだから反対する理由はないと仰るものと思われます。
しかし、そのために結婚し家庭を築き子供を育てる権利という、国民の幸福追求に欠くことのできない核心的権利が犠牲になってよいものだとは思いません。もし良心的な国会議員がおられるのなら是非とも憲法13条、24条1項と密接にかかわる法益の侵害に反対していただくことを伏してお願いします。
(註13)国会図書館調査及び立法考査局 佐藤 令 大月晶代 落美都里 澤村典子『基本情報シリーズ② 主要国の法定婚姻適齢』2008-b【ネット公開】
(註14)http://www.afpbb.com/articles/-/3124128(ドイツ、18歳未満の婚姻禁止へ 難民流入で既婚少女増加)
5.成人年齢引き下げに便乗した国民の権利の縮小
周知のとおり平成8年改正案要綱が棚ざらしになったのは、世論でも反対の多い選択的夫婦別姓(民法750条改正)とパッケージになっていたからであります。夫婦別姓は日本会議関連議員が多い限り進捗しないだろうし、私も強く反対ですが、今回の731条改正は、それと切り離し、 成人年齢18歳引下げに伴う関連法案としたものであります。
いわば、成年引下げに便乗して婚姻の自由を抑制するものだから、余計にたちが悪い。平成8年の民法一部改正案要綱と異なるのは、当時は20歳成年が前提だったため、問題とされなかった未成年者の婚姻の父母の同意(737条)と、未成年者の婚姻による成人擬制(753条)を廃止するということですが、アメリカ合衆国では45州が18歳を成人年齢としているが、各州には我が国の民法753条(成年擬制)と似た未成年解放制度があります。婚姻、妊娠、親となること、親と別居し自活していること、軍隊への従事等を理由として原則として成年として扱うこととなってます(註15)。(原則としてというのは刑法上の成年とはみなさないこと、 選挙権、アルコール、タバコ、小火器の所持、その他健康・安全に関する規則では成年とみなされないという意味 )
民法学者には成年擬制制度に反対の立場から婚姻適齢引上げに賛成する人が結構多いようですが、米国では未成年解放制度は通例なのでありまして、事柄の性質がことなる成人年齢と無理やり一致させる必要はなく、753条は廃止せず維持を主張します。
なお私はカノン法やコモン・ローマリッジが親の同意要件を否定している婚姻の自己決定権ないしその文明史的意義を高く評価していますが、西洋における婚姻法の還俗化の要因は、自由すぎる古典カノン法を非難し親の身上統制権を確立することにあったのであり、世俗国家の婚姻立法は、スコットランドの例外はありますが、未成年者の親の同意要件が通例のものとして重視しますので、737条は廃止せず維持するのが修正案であります。
(註15) 永水裕子「米国における医療への同意年齢に関する考察」山口直也編著『子供の法定年齢の比較法研究』成文堂所収 2017年
修正案を提案する理由の要旨(バージョン2)
A 18歳未満の結婚を否定する法制は社会主義国モデルであり、児童婚撲滅運動の政治目標だが、それは正しくない
18歳未満の婚姻を全面的に否定するのはソ連・東独の社会主義国モデルであり、婚姻の自由や個人の幸福追求権よりも、教育的・社会的平等の達成とマルクス主義の婚姻家族の止揚をめざすイデオロギーによる立法政策である。
18歳への適齢引上げ(婚姻の権利の剥奪)は日弁連女性委員会が70年代より主張してきたことだが、これは相互扶助共同体としての結婚願望が切実なカップル、幸福追求権に対するきわめて冷淡な考え方であり、虞犯少女などの扱いで家裁での実務経験が豊富で我が国初の女性高裁長官となった野田愛子氏(故人-現行法維持が妥当との見解を示した法制審議会委員)が指摘したような問題点があるにもかかわらず、法制審議会や法務省は女性団体等の圧力団体のいいなりになったのである。
民法は、あらゆる国民の諸階層に対応できるものでなければならず、エリート女性団体主導のもと特定のイデオロギー的立場から、伝統的に認められてきた国民の権利を剥奪するにあたっては慎重にならなければならない。
近年では、ヒューマンライツウォッチやユニセフなどの児童婚撲滅団体が、世界的に早婚の弊害を主張し活発なロビー活動により法改正攻勢を仕掛けている。
2017年にはニューヨーク州のクォモ知事が篭絡されて、最低婚姻年齢を14歳から17歳に引上げているが、他方ニューハンプシャー州議会は婚姻適齢引上げ法案を否決し、ニュージャージー州はクリスティ知事の拒否権行使がなされ、安易に「人権団体」の主張に同調しない良識的対応もみられるのであって、児童婚撲滅のための婚姻適齢引上げがトレンドになっているわけではない。
B 16・17歳女子に婚姻適応能力がないとか、当事者にとって婚姻が最善の利益にならず有害であるということはありえない
我が国では外国でみられる「児童」の売買婚、強制結婚は社会問題となっておらず、未成年者の結婚も成熟した男女の結婚なのであり、その多くが最大の共感的理解者が結婚相手なのであり、お互い励ましあい喜びも苦労も伴にして幸福追求のため相互扶助共同体としての家庭を築くことが双方にとって最善の利益と判断しての結婚であると推定できる。早婚の弊害の非難はあたらない。
16・17歳未満女子に婚姻適応能力がないという判断は間違っている。第三者が当事者にとって最善の利益ではないと勝手に判断することも間違いであり、離婚もできる以上、仮に結婚が破綻したとしても、それが当事者にとって取り返しのつかない負担を課すものではないから、法律婚資格をさしたる理由もなく剥奪するのは全く不当であるし、男性にとっても女性が最も美 しく肉体の輝きを謳歌する当該年齢の女子との結婚を禁止されることは、大きな不利益であり(私は神の像(似姿)としてつくられた男性に対する侮辱だと思う)。女子婚姻適齢の引上げは、男性の若い女性への求婚行動を委縮させ、結果的に生涯未婚率をより上昇させる要因になるだろう。
なお私の修正案は、未成年者については世俗法の通例である親の同意要件を継続する穏健無難なものであって、私はスコットランド(16歳ならば親の同意なく婚姻可能)や現行教会法(婚姻適齢男16歳、女14歳で親の同意は不要)を尊重するけれども、修正案としては親の身上統制権も重視しておりそのような立場をとっていないことも付け加えておく。
C 英米などでは16歳が婚姻適齢であり、18歳が世界的趨勢にはなっていない
米国では1970年代の統一州法委員会の推奨モデルが、婚姻の自由を基本理念として、男女とも親の同意要件により婚姻適齢としており、16歳未満でも補充要件規程で結婚可能とするものであり、多くの州がこのモデルを採用している。米国で我が国の成年擬制と同様の制度が健在である。英国やカナダの主要州でも16歳は婚姻適齢であり、法制審議会などの成人年齢と婚姻年齢を合致させるのが世界的趨勢という宣伝は全くの虚偽である。
D 婚姻の自由(=合意主義婚姻理論)がローマ法・カノン法・コモンローの基本理念であり西洋文明2000年の伝統的理念であり、これはわが国も憲法24条1項により継受しており忽せにできない
婚姻は、自由でなければならぬ」Matrimonia debent esse libera(Marriages ought to be free)という法諺がある。
これはユスティニアヌス帝の学説類集(533年)が迎妻式や嫁資の設定を婚姻成立の要件から排除し、婚姻が当事者の合意によって成立するという古来の原則を確立したことに由来するが、婚姻の自由は、12世紀に成立する古典カノン法(=コモンローマリッジ)の緩和的合意主義諾成婚姻理論(民事婚)により、より徹底した理念となった。
つまりカノン法は、主君、血族による意思決定の排除(親や領主の同意は不要)、儀式も不要、当事者の相互的誓約のみで(形式的要件では二人の証人・俗人でよい)婚姻が成立する(カノン法は婚姻適齢についてもローマ法の男14歳、女12歳をさらに緩め、早熟は年齢を補うとして合衾可能であれば適齢未満でも婚姻は成立するものと している)から、人類史上、当事者個人の自己決定を重視し婚姻成立が容易な個人主義的自由主義的な婚姻法はほかにない(もちろん婚姻非解消主義という点では厳格であるが)。このためカノン法は秘密婚の温床となったので、世俗社会から非難され、軋轢を生じた。
しかし、数世紀にわたって教会は婚姻の自由のために世俗権力と抗争したのである。教会は秘密婚の非難をかわすため、16世紀のトレント公会議で婚姻予告と挙式を義務化して妥協したものの、親の同意要件は明確に否定したため、これがフランス王権による婚姻法の還俗化の端緒となったという歴史なのである。
とはいえ近現代において婚姻法が還俗化しても、カノン法の単婚婚姻理念は底流にあるものだから、その影響力は甚大である。近代個人主義的友愛結婚もカノン法の自由主義的理念を淵源とみることができる。
特に英米では古典カノン法が「古き婚姻約束の法」(コモンローマリッジ)として近代まで生ける法だったため、婚姻の自由が法文化・習俗として色濃く継承され、我が国でも憲法24条1項によって継受している理念なのであって、そのように婚姻の自由は西洋文明の法文化の根幹にあるのだから忽せにできない価値なのである。
また結婚し家庭を築く権利は近代の幸福追求権の核心的価値といえる。
従って西洋文明二千年の歴史を背景とする婚姻の自由を否定し、結婚し家庭を築き子供を育てることを幸福追求に不可欠な権利として認めないのは、マルクス主義、アナーキズム、その他の反文明思想である。
ユニセフなどが 「子供の人権」と称して児童婚をなくそうとする運動も余計なお節介だし、反文明的な思想と断言する。政治がこぞって反文明イデオロギーに走るのは異常なことだといわなければならない。
E 最高裁は「婚姻の自由」を憲法上の権利と認めており、憲法違反の疑いもある
再婚禁止期間訴訟大法廷判決・最大判平27・12・16民集69-8-2427では、加本牧子調査官解説[法曹時報69巻5号]が「『婚姻をするについての自由』の価値は憲法上も重要なものとして捉えられるべきであり、少なくとも憲法上保護されるべき人格的利益として位置付けられるべきもの」と記しているように、最高裁が初めて「婚姻の自由」を憲法上の権利であることを明らかにしており、16・17歳女子の婚姻資格剥奪は、再婚禁止期間と同様、婚姻について直接的な制約を課す、婚姻の自由を抑制する法改正なのであるから憲法違反の疑いがある。
法務省、国会は上記判決を受けて多数意見のみならず、共同補足意見の適用除外の法令解釈も汲んで、女性の再婚の自由を重視する法改正を行っているのに、一方で、政府が16・17歳女子の婚姻資格剥奪は、未成年だから憲法上の権利は享受できないとし、日弁連女性委員会様その他の婚姻資格を剥奪したい圧力団体に逆らえないから権利の剥奪当然だとするのはダブルスタンダードとして糾弾に値するものといわなければならない。
16・17歳女子の結婚は1990年台は年間3000人ほどいたが、2015年には年間1357人まで減少しているのは事実であるが 、たとえ年間1300人程度であれ、少数者だからといって憲法13条や24条1項と密接なかかわりのある法益を奪い取ってさしつかえないというのは傲慢な考えで、再婚禁止期間の法改正で救われた離婚後直ちに結婚したい女性も全体の件数からすれば少数にすぎないのである。たとえ少数であっても、婚姻の自由を重視する趣旨での法改正なのであり、一方で、16・17歳婚姻資格を叩き潰すというのは、異様に若い女性に冷淡な対応だといわなければならないし、若い女性に求婚し結婚する男性への敵意の表明である。
政府や国会議員が親代わりになって未成年者だからなんでも自由を奪いとってよいとする考え方は、過剰なパターナリズムであり、過剰な私的領域・私的自治への介入、幸福追求権の軽視である。事実上の関係ができてしまう若い女性に対する軽蔑にもとづくものであり断じて容認できない。
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